幕間: 銀縁眼鏡と少女――午前十一時の図面室
吉田透は、基本的に“黙って作業を進めるタイプ”の人間だった。
他人と馴れ合わず、愛想もなく、目の奥には常にどこか冷めた火が灯っている。
……だが。
「田中さん、今日はこっちの椅子にどうぞ。お茶も出しましたからね」
「ありがとう……ワシ、もうこの椅子が定位置になっとるな」
そんな光景が、彼のPCモニター越しに**“普通に”**映っているようになってから、早くも一週間が経っていた。
吉田は今もまだ、エレベーターの使用を断固拒否している。階段を使うと決めた。
が、踊り場の田中さんと話すようになっているあたり、微妙に順応はしているらしい。
そしてその日も、図面室で静かにCADと向き合っていたとき――
「吉田さん、紅茶いれました。ハーブのやつです。目にいいって聞いたので」
そう言って小さなカップを差し出してきたのは、真木あやのだった。
真珠色の猫っ毛に、吸い込まれそうな藍色の瞳――とても、幽霊たちと仲良くしているようには見えない。
吉田は一瞬、手を止める。
「……君、前から気になっていたんだが。どうして幽霊が平気なんだ?」
「うーん、育ちですかね」
そう言ってにっこり笑うあやのの笑顔は、なんの曇りもなかった。
吉田は一瞬、表情を固め、紅茶のカップに目を落とした。
「……君の目、変わってるな」
「え? 黒目ですよ?」
「いや……中に、金の光みたいな……」
吉田は言葉を切った。
あやのはふわりと微笑んだ。
「たぶん、目にゴミです。吉田さんの目には、たまに『希望』が映っちゃうんですよ」
その言葉に、吉田はむしろ絶句した。
希望? 何を根拠に。
――だが彼は言い返せなかった。
なぜならこのビルの中で一番のオカルトは、たぶんこの少女だと、どこかで分かってしまったからだった。
「……もう一杯、もらっていいか?」
「あ、はい。レモングラス足しましょうか?」
「いらん。オリジナルで頼む」
「うふふ、職人肌ですね」
そうして交わされた言葉は、たったそれだけ。
けれど、吉田透の心のなかで、静かにひとつ何かがほどけていったのだった。




