幕間: 出るビルの洗礼、吉田透の長い夜
吉田透が「司郎デザイン」に正式合流して三日目。
その夜、彼は一人で事務所に残っていた。コンペの提出前、共鳴構造の再解析をどうしても終わらせたかったのだ。
時計の針が、日付をまたぐ。
「……っふー……あと少し、あと少し……」
吉田は眼鏡を外し、目元を揉む。レンガ壁越しに時計の秒針が響く――そのはずだった。
「……きこえますか」
誰かが――耳元で囁いた。
「……っ!!??」
一瞬、背中が氷のように凍りついた。吉田はぐっと椅子の肘掛けを握りしめ、震える指でファイルを閉じる。
「空耳、だろう。低周波共鳴の反射……分かってる、理屈は分かってる」
自分に言い聞かせるように、彼は言葉を吐いた。
が、次の瞬間――
エレベーターが、勝手に動いた。
誰も乗っていないはずの、それが、チーンと音を鳴らして開く。
中から、ふらりと姿を現したのは――
「……山形さんだよ~うふふふふ」
首の傾いた中年の男の幽霊が、まるでドリフのようなノリで両手をぶんぶん振っていた。
「……ッッッッ!!???!!!」
吉田は完全に無言で硬直した。叫ばない。逃げない。ただ、眉間に青筋を立てて静かに気絶した。
数分後。
「あ、倒れてる」「……うわあ、泣いてる?」
「気絶中に涙流すって、ある意味すごいよな」
「しかも『ありえない……物理的に……説明できない……』ってうなされてる」
──それを囲むのは、トイレの太郎くん、田中さん、そして当の山形さん。
幽霊たちは、仰向けに気絶した吉田を眺めながら、なんとなく申し訳なさそうにしていた。
「ごめん、ちょっとやりすぎたかな」
「まさか“ほんとに信じてないタイプ”だったとはな……」
そこへバタバタと駆けつけた足音が響く。
「あっ、吉田さん! また山形さんやったでしょ! ダメですよ人間相手に! びっくりしすぎて魂抜けちゃってるじゃないですか!」
あやのだった。彼女はしゃがみ込み、吉田の額に軽く手をかざす。
その瞬間、吉田のまぶたがぴくりと動いた。
「う、うぅ……どこだ、ここは……」
「あ、大丈夫。山形さんはもうエレベーター戻りましたよ」
「――ッ!! く、来んなって言ったのに……っ」
涙目で眼鏡をかけ直しながら、吉田は震える手でメモ帳を握る。
「……音響的に……説明できるかもしれない。うん。反射音、突発音、イリュージョン……錯視、錯聴……」
「……頑張ってる……(涙)」と、太郎くん。
その夜、吉田透は「出るビル」の本当の意味を知った。
そして三日後には――自らエレベーターに鈴をつける提案をし、却下された。




