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星眼の魔女  作者: しろ
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第五十七章 音が止まるとき

ホールの外観がついに姿を現した。

曲線のファサード、半透明の音響壁、そして風を受けて微かに揺れる天井の反射フレーム。

まだ工事は残っていたが、その異様な美しさに、すでに人が集まり始めていた。


「まるで、都市に現れた“楽器”みたいですね」


あやのがつぶやくと、司郎は肩をすくめた。


「そのつもりよ。

 でも、これはまだ“未調律”。音が鳴らない楽器は、ただの箱なのよ」


彼の視線は、敷地の隅に止まっていた。

そこには、ニューヨーク市の役人が複数、スーツ姿で書類を手にして立っていた。


**


「──都市再生特区との調整が必要になります」


「ええ、知ってる。でもホールの用途変更なんて、今さら?」


司郎の声には、怒りがにじんでいた。


「ホールを“イベント複合施設”に指定し直してほしいとの要請です。住民対話の中で、持続的な収益構造を確保するため──」


「音楽は利益じゃないわよ」


「けれど、利益“も”必要です。都市では」


静かに割って入ったのは、担当キュレーターのカーラだった。

彼女は、最初にこのプロジェクトを市に紹介した人物でもある。


「私も、音楽だけで建てたい。でも、市民参加型という建前の中で、あらゆる声に“場所”を渡すには、このホールを“公共資産”として扱わなければならないのよ」


司郎は何も言わず、指先でメガネを押し上げた。

あやのはそっと司郎の後ろに立ち、手元の設計図を見つめた。


その図面の上で、まるで目には見えない音のように、何かが微かに揺れていた。


**


数日後、仮設オフィスで緊急ミーティングが開かれた。

ラウルも、ヘイリーも、関係者全員が集まる中で、あやのは小さな声で提案を出した。


「……都市の声を“受け入れる”構造にしてみませんか」


「は?」


「音楽ホールが、イベント会場になることを拒むんじゃなくて……それごと設計に組み込んで、“変容するホール”にするんです。

 都市のノイズを“入れる”ことで、音楽の純度が上がる構造を」


司郎は黙っていた。

やがて、ぽつりと呟くように言った。


「──つまり、“雑音”まで含めて、音楽にするってこと?」


「はい。街の声も、足音も、無音も、全部です」


ラウルが目を細めた。


「……やれるのか、それ?」


「できます。設計、やり直します。少しだけ。三日ください」


**


ヘイリーは何も言わなかったが、その夜遅く、あやのにそっと言った。


「……ありがとう」


「なにが、ですか?」


「音楽を、守ってくれて。

 でも同時に、それを“閉じ込めなかった”こと」


あやのは、少しだけ微笑んだ。

「司郎さんに教わりました。建築って、ただ“形”をつくるんじゃない。“通す”ものなんです」


「通す?」


「光とか、風とか、足音とか、…祈りも」


**


そして三日後。


設計は更新された。


可変式の音響壁。天井のスリットには、センサーで風速と人流を感知するシステム。

ホール全体が都市と呼吸し、「音楽」と「生活」の境界が、限りなく融解する構造。


司郎はその設計図を見て、ひとことだけ言った。


「……悪くないわよ、音楽バカ」


**


完成は、目前だった。

だがその夜、最後の調整をしていた現場で、小さな事故が起こる。


一枚の反射板が、高所から落ちた。


誰も怪我はしなかった。

けれど、その衝撃音が──あまりにも美しかった。


「……あれ、使いましょう」


ヘイリーが、静かに言った。


「え?」


「その“偶然の音”ごと、このホールに組み込むの。

 この街が生んだ“事故の音”。誰にも再現できない、唯一の音」


あやのは、深く頷いた。


「はい。きっと、それが──このホールの“最初の音”です」

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