小章:「風が連れてきたもの」
その手紙は、ユラの尾に絡められていた。
まるで風の破片のように、ふわりとあやのの手元へ滑り込んできた。
薄い紙。
墨の香り。
そして、どこか孤高な“癖のある文字”。
あやのはすぐに、それが月麗からのものだと分かった。
「封」などされていない。
それが、かえって彼らしい。
リュートを手入れしていた指先を止め、
あやのはそっと紙を広げた。
──読み進めるたびに、胸の奥が静かに揺れた。
月麗の文は、相変わらず難しい言葉は使っていないのに、
ひとつひとつが、音になって心に届く。
あやのは黙って読んでいた。
唇を結び、目を伏せ、途中で一度だけ息を呑んだ。
「……ずるいなぁ」
ぽつりとこぼしたのは、笑いなのか涙なのか、自分でもわからなかった。
あの夜、自分が歌ったのはただの返礼。
何かに感謝したくて、どうしても伝えたくて、
思わず出てしまった音だった。
それが──誰かの胸に届いていた。
しかも、月麗のような誇り高いひとの胸に。
「……月麗さま」
小さく名前を呼んだ。
それは誰にも聞こえないほどの囁き。
手紙の最後、「返事はいらない」とあったのに、
そのくせ、「また唄って」と綴ってあった。
どっちなの、と言いたくなったが──それが彼らしい。
「……でも、うん。
また唄うよ。たぶん、勝手に」
あやのは、紙を折り直して胸元にしまった。
そしてリュートにそっと触れる。
今夜は唄わない。
だけど次に唄うとき、この手紙は必ず音の中に紛れ込む。きっと、彼にはそれが一番伝わる。
そんな気がした。
ユラがそっと鳴いて、彼女の足元に丸まった。
風がまた、どこかへと走ってゆく音がした。
──風が運んで、風が返す。
それが、あやのと月麗のやりとりだった。
返事のない、でも確かな“響きの交換”。
彼女は目を閉じて、静かな夜に身を任せた。
きっとまた、唄いたくなる。
風と、魔法と、彼と、そして自分自身のために。
それは、もう約束のようなものだった。




