小章:「風の触れる声」
夜。
アカシック・レコードの高窓から、界の境を照らす淡い月光が差し込んでいた。
記録堂の隅、小さな読書席にぽつんとあやのが座っていた。
その膝の上には、風の仔──ユラ。
六つの尾が、静かに波打つように揺れている。
灯りもなく、音もない。
だが、そこにはたしかな“気配”があった。
あやのはゆっくりと、ユラの背に手を置いた。
そして──言葉を紡ぎ始める。
「キミはね、たぶん……私の夢のひとつを叶えてくれる存在なんだよ」
ユラが、あやのの声に耳を立てる。
その羽のように薄い耳が、わずかに震えた。
「恥ずかしい話かもしれないけど、私、魔力量が多すぎて──それで、魔法が“使えなかった”の。暴走しちゃうかもしれないからって、ずっと封じられてきた」
「でも……本当はずっと使ってみたかった。私だかって、誰かみたいに、魔法で何かを守ったり、繋いだり、癒したり、したかった」
「それをね、精霊界が教えてくれたの。精霊魔法っていう“可能性”。自分の内にある魔力に頼らずに、外の“世界にある魔力”と繋がって、奏でる魔法──」
「……その触媒が、キミだったんだよね」
ユラは、小さく鼻を鳴らした。
まるで、“分かってるよ”とでも言うように。
あやのは目を伏せて、言葉を続ける。
「ぬら爺が言ってた。キミは、界と界を渡るときの“風の先導役”なんだって。……つまり、“どこにでも行ける存在”ってこと」
「じゃあ──キミと一緒なら、私も“どこにでも行ける”のかな」
記録の空気が、ふと揺れた。
風がひとひら、あやのの頬を撫でた気がした。
「……これから、キミは私をどこに連れていくんだろうね」
「……ちょっと、ワクワクしてるよ。でも、少しだけ、怖い」
ユラが小さく跳ねて、あやのの肩に乗った。
尾がひとつ、あやのの背中をそっと撫でる。
それはまるで──「大丈夫」と言っているようだった。
「うん。ありがと、ユラ」
静かな夜。
あやのの言葉は風にとけ、
ユラの尾が、それを抱きしめるように揺れ続けていた。
そしてふたりは、次に開かれる“扉”の気配を、
誰よりも早く感じ取り始めていた。




