第三十四章 記録に橋を──閻魔、名を名乗る
《アカシック・レコード》の最奥、記録の中心核。
八角形の議場が、光と影と静けさに包まれていた。
四界の代表たちが、刻を待って着席している。
精霊界:風の精霊王・蒼穹
龍界:記録官長・硯墨
冥界:裁定官・セルト(沈黙を守る男)
魔界:近衛筆頭・立野腕
そして、その中央に立つのはただ一人、
《記録の帳》の主記録者、真木あやの。
会議の議題は三つあった。
記録者の中立性と権限の再定義
未記録の領域に侵食する存在への対策
各界からの記録堂への監視権・参与権の取り決め
言葉を交わさぬままに張りつめた空気のなか、その緊張を、ひとつの声が静かに破った。
「……ずいぶんと立派になったな、小さいの」
低く、よく響くその声に、
誰よりも早く、あやのがわずかに眉を動かした。
その声を知っていた。
黒き門が音もなく開き、ひとりの男が現れる。
冥界の王──閻魔であった。
各界の使者たちが一瞬で立ち上がる中、
彼は誰の制止も顧みず、ゆっくりと円卓の空席に腰を下ろした。
「……冥界は裁定官を寄越すだけと聞いていたが」
蒼穹がわずかに眉を寄せて言う。
「代理では退屈だった。どうせ記されるなら、自分の足で来て、自分で言葉を残す」
閻魔は、そう言って視線を逸らさぬまま、
まっすぐにあやのを見た。
「小さいの。まだ、帳なんぞにしがみついてるのか」
その声は、他の誰にも向けたことのない、古い馴染みの響きだった。
あやのは一歩前に進み、静かに返す。
「……閻魔くんが、そう呼ぶなら、まだ“小さいの”なんでしょうね」
「呼び方を変えれば、大きくなると思ったか?」
閻魔は肩をすくめた。「……ならそのまま、小さいままでいろ」
ざわつく議場の中、立野腕が小さく囁く。
「知り合いなのか……? あの記録者と、冥王が?」
蒼穹はわずかに瞳を細めた。
閻魔は立ち上がると、円卓を一瞥し、言った。
「記録は、過去を縛る。だが──この小さいのは、“過去を背負って未来に進もうとする者”だ。冥王としてではなく、かつて共に在った者として、このアカシック・レコードの独立を支持する」
「閻魔くん……」
「……ただし、小さいの。帳が重くなっても、誰の手にも預けるな。書くと決めたなら、書ききれ。逃げるなら、全部燃やしてからにしろ」
あやのは、小さくうなずいた。
「私が帳を閉じる日が来るなら……それは、誰かの命が、きちんと記されきった時です」
閻魔は、少しだけ笑った。
その表情を見ていたのは、あやのだけだった。
会議はその後、形式的な確認へと移ったが、もはや**《アカシック・レコード》を巡る構図は変わっていた**。
中心にいるのは、たしかにあやの──
そしてその背には、冥界の王の沈黙と、記録の深みがあった。
頁がめくられる音が、石の壁に反響していた。
それは、今や誰の耳にも──
まるで裁定の鐘のように、重く、静かに、響いていた。




