第四十七章 ニューヨーク上陸
JFK国際空港は、春先でも人々の熱気と金属の匂いに包まれていた。
照り返すアスファルト、怒号に近い英語、カートのきしみ。
すべてが騒がしく、すべてが生きていた。
真木あやのは、空港を出た瞬間、その空気の重みに一瞬、まぶたを閉じた。
「──あやの、くっついてなさい。絶対に離れちゃだめ。目を離すと誘拐されるわよこの国」
司郎が、半ば本気であやののリュックの紐を手に絡め取った。
黒縁メガネの奥で瞳が鋭く光っている。
「司郎さん、それ……首輪みたいです」
「じゃあリードよ。犬より手がかかるから」
その横で、梶原國護が無言で巨大な工具入りキャリーを転がしていた。荷物係のようであり、護衛のようでもある。
出国時に英語で一言も喋らず、代わりに完璧な入国書類を提出した男。通関職員に「あなたが一番まともだ」と言われた。
「……スーツ、あつい」
「脱げば?」
「下、作業着しか……」
「じゃあ着てなさい」
マンハッタンへ向かうタクシーの中、あやのはずっと窓の外を見ていた。
ビルが、煙突が、火のように立ち上がり、誰かの叫びのようなサイレンが遠くで吠えていた。
それは音楽とは違う、街の“呼吸”のようだった。
司郎はその横顔を一瞬見つめてから、静かに言った。
「いい? あんたは日本じゃ変わり者で済むけど、こっちじゃ“未知の危険”に分類されるの。絶対に1人でどこにも行かない。GPS仕込むわよ」
「わかってます」
あやのは、手にしていた小さな紙を見つめた。
ヘイリー・マカフィーの手書きメッセージ。
I heard you before you sang.
Your silence hummed.
Come here.
まだ何も口にしていない。歌も、旋律も、ここではまだ芽吹いていない。
けれど──空気が何かを待っているような気がした。
あやのは気づかぬうちに、小さく鼻歌を紡ぎかけた。
だが、その旋律は、喧騒にかき消されていった。
彼らが最初に滞在するのは、ブロンクスにある古いレンガ造りのゲストハウスだった。
部屋は狭く、配管の音がうるさい。だが天井が高く、かすかに響く残響があった。
「この響き……なにかいます」
「は? 幽霊じゃないでしょうね」
「……楽音、のかけら。たぶん、ここに来てます。呼ばれて」
司郎はため息をついた。
「どこに行ってもそれか。……でも、いいわ。見せてちょうだい。“あたしが聴こえない音”を」