第二十二章 波紋の記録
精霊界・中枢記録苑《ミレニスの軌》
水と風が交わる場所に、記録管理を担う精霊たちが集う。
「……四王が記録修復に同意しただと?」
翼を持つ文書精霊が巻物を掲げる。
「信じがたいな。赫焔も磐座も、“過去の固定化”を忌避していた。その彼らが、自らの記録を“名”として再び放ったとは……」
老いた光精霊が呟く。
「記録者真木あやの──
彼女の存在は、やがて“記録そのもの”の定義を揺るがすだろう。
これまで我らが“記すことを恐れていた事象”に、光を当て始めたのだから」
「だがそれは、精霊界の構造にも揺らぎをもたらす。そもそも“記録されないこと”が、我らの自由の源だったのだぞ?」
「……それでも、風が吹いた。水が清まった。土が目覚めた。ならば、光も、闇も──目をそらしてはいられまい」
精霊界の最奥、“光”と“闇”の交錯領域がわずかに震える。
暁花と幽冥──
まだ沈黙を保っているが、その視線はすでに、あやのへと向けられていた。
冥界・記録層《第六書架回廊》
「……やっておるな、あの子」
亡者の記憶を綴る老霊が、冥王の間に報告を届ける。
「四精霊王との接触、すでに半数を突破。
そのすべてにおいて、“封じられていた記録”の回復が確認されております」
冥王はゆるやかに頷く。
「記録とは、本来“冥界の領分”でもある。
精霊界が長らく記録の均衡を崩していたゆえに──彼女の役割は、ますます“中心”に近づいている」
「……だが、それが脅威となる者もおりましょう」
「知っている。だからこそ、“あの者”を目覚めさせたのだ」
冥王の視線の先には、かつて滅ぼされた記録騎士団の長が眠る棺──
不在のあやのに代わり、“記録の護り手”として目覚める存在が、静かに目を開けようとしていた。
魔界・温泉の間《煙渦の庵》
「……そろそろ、風呂に入りっぱなしじゃ済まされないわねぇ」
司郎正臣は、脱衣所で煙草をくわえたまま、湯けむりの向こうを見やった。
「地の精霊王まで落としたって?……おそろしい子」
対する梶原は、黙って新聞を読んでいるが、何度も同じ行を読み直している。
「……あやのは、何かを“変えにいってる”んじゃない。“戻すべきもの”を、正しい場所に戻してるだけだ」
「けどね、梶。それを“変化”って言うのよ。
記録はねぇ、動かしたら最後、もう元には戻らない。だからこそ怖いの。あの子が“全部記し終えたとき”、この世界のかたちも変わってる」
幸が庭で耳を立てた。
なにかが、遠くで揺れている──
音もなく、名前もないが、確かな“変化の予兆”が。
司郎は吐いた煙を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「さぁて、次は光と闇。いちばん厄介な“虚偽と真実の境界”ね……あの子、心を折られなきゃいいけど」
──静かに世界が動いていた。
記録は修復され、風は吹き、水は澄み、土が脈打つ。
だがその一方で、
記録されてこなかった“虚偽”と“欺瞞”が、光と闇の中で蠢いていた。
そして──あやのは、まもなくその狭間へと足を踏み入れることになる。




