第二十一章 記録は石に刻まれし
あやのが足を踏み入れたのは、地の霊域《土眠の杜》。
木々は揺れず、土は息を潜め、そこに生き物の気配はなかった。
ただ、地下深くから絶えず伝わる振動があった。
それは、記録されることを拒み、土の奥底で眠る“石の心音”──
「記録者よ」
その声は、地の底から直接語りかけるようだった。
大地がせり上がる。
大岩が隆起し、苔と石の王冠を戴く影が立つ。
──地の精霊王・磐座
その姿はまるで山。
言葉ひとつに重みがあり、視線すら動かぬ。
「そなたは、“記録”を善と信じるか」
問われた瞬間、あやのの身体がわずかに沈む。
この場所では“問い”すら重い。
思いを持って返さなければ、足元の地に呑まれてしまう。
「……善かどうかは、わからない。でも……記録は、“後悔を繰り返さないため”にある。それが誰かの未来になるなら、私は、書きます」
磐座は微動だにしなかった。
「そなたは、記録を積む。だが、積み重ねたものは、いつか崩れる。崩れたとき──人はその記録を呪うのだ」
そう言って磐座は、地の奥からひとつの**封石**を押し上げた。
そこには、かつて土中に封じられた一族の記録──精霊戦争と呼ばれた争いの“発端”が刻まれていた。
「これを記す者は、いなかった。
あまりにも重すぎて、記録者たちは手を引いた。だからこれは、未完の石碑。そなたに、これを読む資格があるか?」
あやのは、石碑に触れた。
その瞬間、石の中から“記憶の声”があふれた。
「──土の精たちは争わなかった。だが、他の属性たちの力に恐れ、先に封じた。その封印が……全ての発端となった」
「我らが石を積んだのは、守るため。
だが積み上げられた石は、“壁”になった。その壁が、敵を生んだ」
「記録は、誰かを守り、誰かを閉ざす。記す者よ。それを知ってなお、筆を取れるのか?」
──それは、“記録の罪”そのものだった。
過去を記すことが、誰かの未来を傷つけるかもしれない。
けれど、それでもなお。
「……閉ざされた記録こそ、読むべきなんだと思うんです」
あやのは、ゆっくりと口を開いた。
「怖いことも、辛いことも、封じることで“なかったこと”にはできない。土に埋めても、いつか誰かが踏みしめる。だったら、ちゃんと書くことで、未来に残すしかない──そうやって、“崩れないもの”を築いていきたい」
沈黙のあと、磐座がゆっくりと動いた。
彼の背中から、ひとつの“石の卵”が落ちる。それは、かつて封じた記録の最後の欠片──
「ならば、そなたに託そう。この記録を完成させる者として。そなたの筆が、この石に“未来の礎”を刻めるのなら」
石の卵に、あやのの星眼が重なる。
記録の核に触れた瞬間、土の精霊たちが目覚め始める。
“つちえ”
“いわね”
“ひびき”
“かける”──
彼らは、磐座のもとに集い、再び名を持った。
地が震え、土の杜に霊灯が灯る。
磐座が最後に言った。
「記録は、時に遺跡となり、時に礎となる。そなたが築くものが、“墓”でないことを願うぞ」
「……はい。私は、墓ではなく、“明日の足場”を記したい」
あやのは頭を下げ、次の地を目指す。
──次なる記録修復は、光の霊域《暁天の回廊》。
まばゆき輝きの中心には、優しくも厳しくすべてを見通す存在──
**光の精霊王・暁花**が待っている。
そして、彼女は知っている。
“記録者あやの”の、もっとも脆い部分を──




