第四十六章 風は西へ
春の東京。蔵前の古いコンサートホールに「共鳴の回廊」が完成したのは、桜がすっかり散ったあとだった。
朝の光が白く、埃の粒を照らしていた。
澤井教授は完成した模型を見て、ただ一言だけつぶやいた。
「……いいね」
まるで、口から出た音がそのまま空間に染み込んでいくようだった。
けれど、それは終わりではなく、始まりだった。
出るビル。朝。
あやのは小さなポストに投函された封筒を手にとった。
淡いクリーム色の分厚い紙。差出人は──在日米国大使館 文化交流室。
「……司郎さん、これ」
司郎は封筒を受け取ると、内容を読む前に眉を寄せた。
「うわ。向こうから来たか……やな予感」
それは、アメリカで開催される国際文化デザイン交流事業への正式招待だった。
選ばれたのは、あやの。そして同伴者に梶原と司郎が指定されている。
「なにこれ、聞いてないわよ。ねえ。なんであたしが旅費自腹で引率よ。しかも“カルチャーギャップを克服する代表建築家”って失礼ね!」
「……でも、書いてあります。向こうに“あたしの声を聴いた”って」
あやのの手元には、手紙に同封された一枚の小さなメモがあった。
印刷ではない、手書きのスペイン語混じりの英語で、こう記されていた。
I heard you before you sang.
Your silence hummed.
Come here. Let’s build something we can’t hear yet.
―Haley McAfee
司郎はその名前に、かすかに反応した。
「ヘイリー・マカフィー……ラテン系の若手でしょ。電子音響と舞踏の空間構成で最近賞取った子。わたしと似た路線にいたけど、消えたって噂だったのに」
「……“聴こえないもの”を作るって、素敵ですね」
数日後、成田空港。
いつもどおりリュックひとつのあやの、でっかい工具箱を転がす梶原、
そしてスーツケースを蹴飛ばしながら「エコノミーに人権はないの!?」と騒ぐ司郎の姿があった。
飛行機は雲を突き抜け、やがて青い大陸をめざして飛んでいく。