第十一章 眠骨(みねほね)の教皇
冥界の底は、沈黙で満たされていた。
時すら凍てつく奈落の奥、その最も深い層に、それはあった。
忘れられた玉座。
誰にも祈られることのない石の祭壇。
その上に、朽ちぬ骨が膝を抱え、ひとつの名を静かに思い出していた。
「……かつて我を戴冠した、無数の声よ。貴様らが我を裏切ったこと、忘れぬぞ」
その骨に、心はなかった。
けれど――怒りだけは、死してなお腐らずにいた。
彼の名は、エルセディア四世。
人として死に、魂すら否定され、なおも**骸の教皇**として蘇った呪詛の王。
かつて冥界に捧げられた聖なる魂が、最悪の形で目覚めてしまったのだった。
*
同じころ。
あやのは、魔界の温泉宿の一室で風呂あがりの髪を乾かしていた。
ふわふわと浮く真珠色の髪を、忍犬・幸が見上げている。
そのとき。
宿の結界を破らずに差し込まれた、黒漆の封書が、ふと空から落ちてきた。
「……冥界から?」
封を開くと、そこには冥王の直筆による短い文。
《星眼の記録者へ》
目覚めたぞ。
千年の恨みを積んだ魂が、骨の身体で復活した。
教皇エルセディア。
聖と呪の交差点にて、冥界の均衡が崩れる。
汝に一任する。記録者よ、再び来たれ。
読み終えた瞬間、あやのの顔から色が消えた。
「司郎さん……梶くん……冥界に、行かなきゃ」
世界の奥底で、忘れられた復讐が、いま再びその口を開こうとしていた。
その牙の先には、生者も死者も分け隔てなく、あらゆる“記憶”と“信仰”が含まれていた。
──界を超えての戦いが、幕を上げようとしていた。




