外伝: 《再び、剣は立つ》
――精霊界・境界部、“灰の村”にて
霧に閉ざされたその村は、かつて精霊界と魔界のちょうど狭間に位置し、
両界からも見放された場所にあった。
“灰の村”──かつて「界の狭間に生まれし者たち」の集落として、一時期存在していたが、数十年前の界震で地形ごと失われたとされていた。
だが近年、そこに**“死者の囁き”**が集まりつつあるという。
魂が安らがず、風も止まり、精霊も寄りつかない。
魔界の行政も精霊界の王も対応を保留する中、ついに一部の探査隊が派遣されることになった。
あやのは、自身の記録に含まれた“ある異変”──
《サカシラ》の記録が周期的に震えていることに気づき、独自に現地へ向かっていた。
同行するのは、梶原と司郎。そして、魔界にてあやのの記録を読んだ若き記録官たち。
彼らは、現地の異変をこう語る。
「夜になると、灰の中にひとつの“影”が立つのです。
誰もその顔を見た者はいません。ただ、その背に、剣のようなものが──」
霧の夜
あやのたちが現地に入ったのは、月がちょうど欠け始めた夜だった。
村は朽ちていた。建物は影も形もなく、地面からは魂の残渣のような黒煙がゆらゆらと立っていた。
「これは……死者の囁きじゃない。ただ、“助けを呼ぶ声”だ」
あやのはそう言って、記録帳を胸に抱き、灰の上を歩いた。
やがて、風が止む。
そして、現れた。
──灰の中に、ひとつの“影”。
背を向けて立つその姿は、あの夜あやのが見た「名もなき守人」のままだった。
「サカシラ……!」
あやのの呼びかけに、影は振り向かない。
ただ、その周囲に、かすかに光る“道”が現れていく。
魂たちが、何百、何千と、サカシラの背に導かれ、霧の向こうへと静かに歩いていく。
それはまるで──
死者たちの大脱出。
導かれるままに、苦しみのなかから光へと。
彷徨いの記憶を連れて、再び“輪の中”へ戻っていく。
梶原が言う。
「……記録が、呼んだのか?」
司郎が応える。
「ちがうわ。あの子の“記録”に触れたことで、彼が自分の意思で“もう一度”立ったのよ」
そして、あやのは、ただ手を合わせ、静かに目を閉じた。
「ありがとう。もう一度、“守って”くれて」
サカシラの影は、最後のひとつの魂が渡り切るのを見届けたあと、
ほんのわずかに、あやのの方を振り返る。
姿は淡く、輪郭も崩れかけている。
けれど、その顔は──確かに笑っていた。
そして、風が吹いた。
魂たちが去ったあとの地面には、ひとつの焦げた金属片だけが残っていた。
それは、二本の短剣のうちの一本──
“導くための剣”の柄の部分だった。
翌朝
灰の村に、光が差していた。
風は戻り、黒煙は消えていた。
精霊界と魔界の境界にあった“傷”が、ひとつ、癒えたのだ。
司郎は剣の残骸を拾い、あやのに渡す。
「この剣、建物に埋め込むのはどう?」
「……あの人の記録が、“構造”になる」
あやのは、涙をこぼしながらうなずいた。
梶原がふたりのそばに立ち、いつもより少しだけ声を張って言った。
「……いつか、“サカシラ”って名が、どこかの子どもにつけられるような時代が来るといいな」
あやのは、それを聞いて頷いた。
記録は、未来へ。
名もなき英雄の声は、輪廻を越え、ふたたび世界を導いたのだった。




