表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星眼の魔女  作者: しろ
456/508

第八章 魔界・中央都外れの一軒家──静かな晩

夜。

三人が拠点としている魔界の一軒家は、中央都の喧騒から少し離れた高台にあった。

外では虫の声が弱く響き、温泉の湯けむりが遠く、霞のように立ちのぼる。


あやのは一室に籠もり、蝋燭の灯だけで机に向かっていた。

小さな窓から差す月光と、蝋燭の揺れる灯だけが紙を照らしている。


そこには、今日──妖怪の里の「忘れ橋」で受け取った、“名を持たぬ魂”の記憶が、あやのの胸の内にまだ熱を残していた。


彼の名は、最後まで語られなかった。

けれど、その願いは、あやのの中で確かに形を成し始めていた。


梶原は部屋の外で、静かに湯を沸かしていた。

音を立てぬように、火を弱める。

彼女の筆が止まらないように。


司郎はその様子を見て、ソファに寝転びながら煙草の代わりに木の枝をくわえ、ぼんやりと天井を見つめている。


「……死んだ者に“名をくれてやる”ってのは、けっこう大ごとなのよ。建築だって、そう。無名のまま風化させる建物と、誰かが名付けることで残るものがある。あやのは……あの子は、そういう“言霊”を使えるのよね」


司郎の声に、梶原は黙ってうなずいた。


やがて、あやのの部屋から、かすかな紙の音がする。


──筆が走っている。





記録・冒頭



(魔界中央都外れ・真木あやのの私室にて)


この記録は、かつて名を持たなかった少年のために書く。


彼は名を持つことを許されず、語られることなく、ただ“守る”ために生きた。


その場所は、魔界の戦火のはざま。

彼は、名もなき民を守り抜いた。誰に命じられたわけでもない。

彼が命を落とした日、守った者の数は三百を超えたという。


けれど、彼の存在は“記録”されなかった。

それが、政治的な理由なのか、誰かの策略か、それとも単なる“忘却”だったのか──今となっては、誰にもわからない。


ただ、彼は最後に願った。

「どうか、この手で守った人たちが、生きていけますように」と。


この願いが、廻り、次の命に繋がりますように。

記録者・真木あやのの名において、ここに記す。


筆を置いたとき、蝋燭の火が少し揺れた。

息を吐くように、静かに灯が落ちる。


その瞬間、あやのの部屋の扉が軽くノックされた。


「……お茶、入ったよ」


梶原だった。

あやのは小さく笑って、扉を開けた。


「ありがとう、梶くん。……ちょっと泣いちゃった」


「知ってる」


あやのは、湯気の立つ湯呑みを受け取り、すすりながら目を閉じた。


「……あの子が、“また巡り会えた”って思えるような、そんな名前を考えてあげたいな。名を記すって、ほんとは“生きてる証”なんだね」


「お前が言うなら、そうなんだろう」


梶原は、彼女の頭に手を置いて、ただそれだけ言った。


少し遅れて、司郎が部屋を覗き込み、


「“無名の英雄”ねえ。……ま、世界ってのはそういう人間に支えられてるのよ。名ばかりの王より、名もなき守人もりびとの方が、よほど偉いわ」


とぼけたように言って、キッチンで湯の残りを使って味噌汁を作り始めた。


夜は、まだ深く。

けれど、魔界の外れのこの家の中には、確かにひとつの命が、書き記され、守られようとしていた。


あやのの新しい記録帳の、一枚目には、こう記されていた。


「彼は、“名のない勇者”だった。けれど、この頁からは、彼は“ここに居た”と、証明される」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ