補章:風より生まれし獣
──精霊魔法、芽吹きの章
昼下がり。
魔界の都はずれ、風通しの良い丘の上にある屋敷の庭。
あやのは、地面にしゃがみ込みながら、手のひらを土にあてていた。
「……ん。今日は風が落ち着いてる。チャンスかも」
白い指先が、静かに空をなぞる。
その背後で、黒毛の忍犬・幸が耳をぴくりと動かした。
「くぅん?」
「うん、大丈夫。今日は爆発しないようにする。……たぶん」
その時だった。
ふわりと、風が集まるような感覚が空間を包み、
ひとつの“光の粒”が、ふいにあやのの足元に降り立った。
声もなく、気配だけが満ちていく。
──六属性の精霊王たちからの「贈り物」だった。
それは、小さな仔獣の姿をしていた。
耳は羽のように薄く、尾は六つに分かれ、毛並みは風のごとくたなびいていた。
「これは……獣? ……でも、なんだか、懐かしい気がする……」
風の精霊王・蒼穹の声が、どこからともなく響いた。
「記録者よ。これは“精霊獣”――
六王の属性を受け継ぎ、お前の魔法と親和する魂より生まれし者。
名前を贈り、共に学べ」
あやのは、そっと仔獣に手を差し伸べた。
その瞬間、仔獣の額にある模様が光り、風とともにあやのの魔力が共鳴した。
──星眼が反応する。
「……“ユラ”。あなたの名前、きっとそれだね」
仔獣が小さく鳴いた。まるで同意するかのように。
その夜。
あやのは離れの裏庭で、魔法の練習を再開していた。
対話の器を手にしてから、魔力の流れが変わっていた。
ただ放出するだけの力ではない──“伝えるための術”として、魔法が響き始めていた。
「風、聴こえる? わたしの声、ちゃんと届けたい」
手をひと振り、風を纏った。
すると、風はただ舞うだけでなく、花の種を包み、土の上にそっと落とした。
そこに水の精霊獣の力が重なり、種がぽっと膨らむ。
そして、火の温もり。地の安定。光の鼓動。闇の守り。
六属性が、あやのの“意志”に呼応して、魔法として形を持った。
「……ただの現象じゃない。これは……祈りみたい」
ふと横を見ると、梶原がいつの間にか見守っていた。
「前よりずっと、魔法らしくなったな」
「うん、違うんだ。“使う”じゃなくて、“通わせる”って感じ。……言葉じゃ伝えづらいけど」
あやのの足元には、咲きたての白い小花が揺れていた。
風露の記憶と重なるその景色に、彼女は小さく呟いた。
「精霊魔法って、きっと“記録するための言葉”なんだよ。だから私、これならずっと……つづけられる気がする」
その後もあやのは、精霊獣ユラと共に、毎日のように魔法の調整と発展を重ねていった。
破壊ではなく、伝達と継承の魔法。
記録者としての役目と魔法使いとしてのあり方が、少しずつ重なっていく。
司郎には「どこぞの巫女にでもなるつもり?」と茶化されながらも、
梶原は黙って、訓練場に手作りの石碑を増やしてくれていた。
そこには、風露の名前が刻まれていた。




