六界巡り第一章:焔の記憶を喰うもの
焦げつくような赤空の下、
あやのと梶原は、火の界の門をくぐった。
瞬間、空気が変わる。
熱が皮膚を刺し、吐く息すら火照る。
だが、それは単なる灼熱ではない。
「……記憶が、焦げてる」
あやのがぽつりと呟くと、梶原が隣で僅かに目を細めた。
火の界では、記録とは燃やすことで遺されるもの。
誰かの語った言葉、誰かの名乗った名、誰かの最後の願い――
それらは全て焔の器に納められ、燃やされた灰が“記憶”として大地に還るという。
だが、今。
辺りに広がる灰の大地には、何も語っていない。
燃えた痕跡だけが、虚しく積もっている。
「……焔に、声がない」
かつて、焔の器の中には歌があったという。
死者の最期の願いが、炎にゆらめき、残された者の夢と交わる。
けれど、今ここには――ただ燃えた跡だけが残る。
そのとき。
「誰だ」
轟く声と共に、炎が巻き上がった。
風ではなく、意志によって焚き上げられる焔。
そして、そこに現れたのは、紅蓮の衣を纏う若き王。
赫焔――火の精霊王が、玉座を捨てて直接現れた。
「……記録者か。噂どおり、子どものような姿だ」
「あやのは記録者です。火を消しに来たわけじゃない」
梶原が一歩前に出たが、赫焔はそれに笑った。
「……それは承知の上。だがな、炎の記憶に触れる者は、しばしば燃える。消せるか? 焦げることもなく、見届けられるか?」
「見ます」
あやのの返答は短かったが、確かだった。
赫焔の目が、わずかに細められる。
「ならば導こう。“無声の火葬地”へ」
夜――
ふたりは赫焔の導きで、火の界の北方にある“無声の火葬地”へと向かった。
そこは、もともと語り部たちの眠る聖地。
彼らの最期の語りは焔にくべられ、歌となり、記録として界に残された。
しかし。
今、燃えた灰のどこにも名がない。言葉もない。
かつての語り部たちの炎は、ただ喰われたように消えていた。
「……声が、焼かれてるんじゃない。最初からなかったみたいに……」
あやのは、灰に膝をついた。
灰に触れ、耳をすませる。
そこに、ひとつだけ。
うっすらと残された“最期のつぶやき”があった。
「なにも……遺せない……」
「わたしのこと、名前、消えて……いく……」
それは、焔の中で燃え尽きた、誰かの存在そのものの叫びだった。
「……これは、《空哭》に喰われた記憶」
あやのの瞳に、淡く蒼白い光が揺れた。
星眼が、記録の断片をその中に映す。
灰の底から、一筋の光が浮かび上がる。
赫焔が、思わず目を見開いた。
「……それは、“焦熱の芯”か。消えかけた記録が、記録者に応じて蘇った……?」
「これは、もう一度燃えたいと願った記録です。誰かに見届けてほしかった声です。燃えてしまうなら、その前に……記したいって」
あやのの手の中、赤く光る結晶――
それが、器のための第一の心核素材となった。
「……記録者」
赫焔は、重々しく言った。
「お前が燃やすことを恐れず、灰に触れたなら……俺は、その芯を認めよう。
対話の器、火の核として、それを編め」
あやのは、しっかりと頷いた。
「ありがとうございます。赫焔王」
そして翌朝。
ふたりは赫焔の見送りを受け、次なる界――
水の界・清瀧のもとへと向かう。
焔の記憶を一つ抱えて、
声なき歌の眠る、水の世界へ。




