第九十九章 やわらかな腕の中で
式典が終わり、風が静まった。
音は界をめぐり、風脈は安定を取り戻し、
その場にいた誰もが、今しがた起きたことを「奇跡」と呼んでいた。
だが、奇跡を起こしたその人は。
──ほんの一歩、足を引いたその瞬間。
ふ、と。
その小さな体が、音もなく崩れ落ちた。
「……!」
声が上がるより早く、
誰よりも早く、誰よりも自然に、あやのの身体を抱き留めたのは──
梶原國護だった。
白銀の衣が、強くて温かな腕にすっぽりと包まれる。
あやのの頬が、ゆっくりと梶原の胸に触れた。
その顔は、ただ静かで、
けれどすこし熱を帯びていて、
眠る直前の子供のように、安堵の気配を宿していた。
「……おつかれさま、あやの」
梶原の声は、誰にも聞こえないほど低かった。
彼はあやのをしっかりと抱き寄せたまま、地に膝をつく。
司郎が駆け寄ろうとしたが、
その足がふと止まる。
ああ、と思った。
──この腕だけは、あやのが今、帰れる場所だ。
誰よりも傷つかず、
誰よりも言葉を要さず、
ただこうして、抱きとめてくれる男。
「……あたしの役目は終わった。あとはあんただよ、梶原」
司郎は呟き、そっと背を向けた。
一陣の風が吹いた。
その風には、もう不安も歪みもなかった。
ただ、“おかえり”とでも言うように、あやのの髪をやさしく撫でていった。
梶原は、あやのの細い肩を少しだけきつく抱きしめた。
「……無茶をする」
責めるようで、責めきれない声音だった。
あやのの唇が、微かに動いた。
「……梶、くん……」
その声に、彼は目を細める。
「ここにいる。ずっと」
それだけを、何度でも繰り返すように、低く言った。
**
星眼は閉じられ、衣は風にそよぎ、
少女は、守るべき誰かの腕の中で、すこしだけ深い眠りに落ちていった。
世界がひとつ落ち着いた夜、
あやのという名の小さな命が、ようやく“誰かに”甘えた夜だった。




