第六十六章 誰が風を記すのか
庁の一室。石造りの天井には龍文様が刻まれ、壁には古の記録者たちの名が並んでいる。
そこに、控えめな告知が貼り出された。
「風の講話・第一回」
講話者:記録者 真木あやの
主題:「風の中の声──龍界にて耳を澄ます」
参加自由・庁内筆士および関係者歓迎
蘇芳がそっと見守る中、若き筆士たちの目が輝いた。
「……来ると思いますか、王は?」
「わからない。だが、彼はあの子の“すべて”を聴こうとする人間だ」
あやのは、開演の少し前に静かに講話室へと入る。
そこにはすでに十数人の筆士たちが集まり、若手の涼が控え室の手伝いに立っていた。
「準備は整いました。……あの、あまり緊張なさらないでくださいね」
「ううん、ありがとう。……でも、大丈夫」
あやのは一瞬、窓の外を見た。
遠くに、見知った姿──王族の衣をまといながらも、どこか子供のような瞳をした者が歩いてくるのが見えた。
(……やっぱり、来たんだね)
あやのは深く礼をして、壇上へ立つ。
席には、庁の筆士たち、研究者たち、そして中央に、月麗の姿。
彼の周囲だけがすこしだけ空いているのが、異質さを際立たせていた。
「本日は、貴重な時間をいただきありがとうございます。私はまだ、ほんの少ししかこの龍界を知りません。でも、その“ほんの少し”の中に、とてもたくさんの声がありました」
あやのの声は静かだったが、会場の空気を変えた。
「私は、風楼で過ごす夜に、時折、声を聴きます。
それは誰かの囁きであったり、薬研の軋む音であったり──記録とは、“音のない言葉”を拾うことだと思うのです」
彼女は小さな冊子を取り出した。
「ここに、私がこの数日で記録した、庁内の人々の“無言の言葉”があります。誰のものかは明かしません。ただ、読ませてください」
「……王の護りがあるのはありがたい。けれど、それが“手綱”のように思える瞬間がある」
「記録者殿の言葉は、柔らかくて、でも痛い。だから、忘れられない」
「風が流れている。龍界が、少しずつ動いている気がする」
読み終えたあやのは、静かに言った。
「これは誰かの“本音”です。声にならなかったものを、私はここに書きとめました。それが、記録者としての私の“あり方”です」
会場は静まり返っていた。
月麗は何も言わなかった。
ただ、ずっとあやのの顔を見ていた。
(……ああ、やっぱり君は、こうして“外”に届く言葉を使うんだね)
どこか寂しげに、けれど目を離さずに。
講話が終わった後、蘇芳はあやのに静かに言った。
「君の言葉は、風になった。庁の中に、確かに吹いたよ。……ただ、それを“どう読むか”は、聞いた者たち次第だ」
あやのは微笑み、深く頷いた。




