第六十四章 君の風を守るために
──庁内の机が、ざわついていた。
記録者・真木あやのの認定から数日。
彼女は静かに庁や龍仙洞を訪れ、資料を読み、記録を重ねていた。
だが彼女の行動には、常に数名の従者が付き添っていた。
それは庁の者たちの目にも見えていた。
「護衛」ではなく、「監視」ではないか──と。
「あれは……彼女が望んでいるのだろうか?」
「いや、違うな。王の命令だよ。“彼女の安全を守るため”だと」
「……安全を守るなら、あんな目立つ護衛などいらんはずだ」
知の庁の若き筆士たちが、囁く声。
あやの自身はまだ、気づかぬふりをしていた。
月麗は書院にて、側近の補佐官・琅華と向き合っていた。
机の上には、あやのが提出した記録帳の副本と、庁の反応記録。
「──やはり、彼女の言葉には“重み”がある」
「はい。ですが、それゆえに、王族内でも『影響力を持ちすぎる』という声が出始めております」
「……君は、彼女がこのまま“自由に記す”ことに、不安があるのか?」
「いいえ。私は、あの方が“記しきる”ことこそ、龍界にとって希望だと思っております。
ですが──」
琅華は、筆を置いた。
「王が“彼女の盾”であろうとするならば、周囲は、その手を“剣”と見るでしょう」
月麗は静かに頷いた。
「ならば、いっそ──剣にしてしまおうか」
翌日、知の庁に一通の通達が下る。
【記録保全規則 改定通達】
記録者・真木あやの殿の記述するすべての文章は、王宮にて副本保管を行うこと。
また、記録の正当性を担保するため、庁内においての“草稿段階の閲覧”は禁止とする。
庁の者たちは、ざわめいた。
「……これは、検閲では?」
「だが、名目上は“保全”だ。記録の改ざんを防ぐため、とある」
「けれどこれでは、あやの殿の言葉が“王の言葉”として読まれてしまう……」
蘇芳は静かに、それらの声を聞いていた。
ただ一言、呟く。
「“風”を囲うつもりか、月麗──」
風楼の書室。
あやのは、自身の提出した記録帳の写しを手にしていた。
そこに、彼女が書いた覚えのない“注釈”が、朱で加えられていた。
「当記録の見解は、あくまで観察者個人のものであり、王族代表の意向とは一線を画す」
「……誰が、こんな注釈を……」
幸が静かにうなり、戸口を見た。
そこにいたのは、やはり彼だった。
「……来てくれたんだね、月麗さま」
月麗は微笑んだ。
彼の笑顔はいつもと変わらない。
けれど、あやのにはわかった──
その奥に、“無意識の独占欲”が根を張っていることに。
「君の記録は、龍界の風だ。だからこそ、風が“傷つかないように”……ちゃんと守らなきゃいけない」
「……でも、それは“私の言葉”が届く場所を選ぶってことですか?」
「君の言葉が届いた先で、何かが壊れるのを……私は見たくない」
「それでも、私は記録者です。
見て、聴いて、書く。それが、私の役目です」
月麗は黙って、彼女を見つめた。
その瞳には、どうしようもない孤独と、どうしようもない執着が交じっていた。
その夜、あやのは静かに、風帳を記す。
王は、風を守るという。
けれど、それは“囲い”ではないか?
自由をくれる者が、
その自由を“制御しようとする”とき、
私たちは──何を選べばいいのだろう。
私の言葉が、誰かを傷つけるとしても。
それでも私は、止めない。
記録者とは、そうあるべきだ。




