第六十三章 風に記されし名
その知らせは、風楼に直接届けられた。
朝、風帳を記していたあやののもとへ、王宮からの公式使者が現れる。
手には、重厚な紅綴の公文書──銀の龍紋が押された**「認定証」**。
認定状(抜粋)
龍界の全域において
真木あやの殿を「公的観察者」として正式に認定する。
記録者としての筆記と発言を保護し、必要な助力を提供するものとする。
本許可は、知の庁および龍仙洞をはじめとする、あらゆる学術機関・施療機関に対して有効である。
王族代表 源龍 月麗
あやのは、書状をしばし無言で見つめた。
それはまさしく“風が吹き抜ける許可証”だった。
「……やっと、ここから外へ行けるんだね」
その呟きに、幸が静かにしっぽを揺らした。
初めて記録者としての“証”を手に、あやのは庁の門をくぐる。
以前とは違う。
門兵たちの態度も、案内人の視線も、どこか慎重で──そして、敬意に満ちていた。
知の庁の長・蘇芳が、自ら出迎える。
「ようこそ、記録者殿。……風は、また動き始めたようだね」
「いえ、やっと“吹ける場所”に来られただけです。これからです、本番は」
にこりともせずそう返したあやのに、蘇芳ははじめて静かに微笑んだ。
「では、我らも本気を出そう」
庁の蔵書室、記録室、調査庭──
閉ざされていたすべての知識の門が、彼女のために開かれていく。
次に向かったのは、龍界最大の施療拠点である龍仙洞。
朱塗りの門の内側、香の煙に満ちた調剤の間。
巨大な龍が、薬研を動かす音が響く中、あやのは静かに歩いた。
「──ここで働く皆さんの“日誌”も、読ませていただけませんか?」
その申し出に、年嵩の半龍人が目を見開いた。
「……あなたが、“記録の風”か。王のお気に入りと聞いていたが、“風”というのは、案外静かに吹き込むものだな」
「私は、ただ記したいだけです。
誰かのためではなく、“この世界のため”に」
風楼に帰った夜、あやのは初めて記録者としての徽章を見つめた。
銀糸で織られた紋。
中央には、舞い踊る風を表す螺旋文様。
(この“自由”は、誰に与えられたのか。
そして、この自由は、本当に“自由”なのか──)
そんな疑問が、胸をかすめたが、今はまだ胸にしまう。
夜風がカーテンを揺らす。
あやのは静かに筆をとった。
本日より、私はこの地にて
「風の記録」を正式に開始する。
名を刻むことに意味があるのではない。
誰かの知らぬうちに流れ、記憶の隅に種を蒔く。
それが、“記録者”の風である。




