第四十八章 途切れた余白
魔界。東の端に広がる赤鉄の工房街では、乾いた風が吹いていた。
鍛冶の火と魔素の噴煙の匂いが満ちるその一角。
修繕中の送熱管の上で、梶原國護は溶接面を外し、汗を拭った。
「……三通目か」
工具箱の上に置かれた、紫紺の紙。
それは、あやのからの手紙だった。
整った筆跡。丁寧な言葉。やさしく、美しい表現。
──完璧すぎる。
それが、違和感だった。
初めは笑った。次は冗談も添えられていた。
けれど、三通目のそれは、まるで“編集された感情”のように思えた。
「……俺の知ってる“あやの”の書く文じゃない」
そう呟いた梶原の背に、ふいに影がさした。
「気づいたのね。やっぱり、あんたも」
その声に、梶原は顔を上げる。
作業服のまま歩いてきたのは、司郎正臣だった。
手には、一通の書状──
「この子の文には、“音”が消えてるのよ」
司郎は、煙草を咥えたまま言った。
「この子の筆ってのは、言葉を並べてるんじゃなくて、音を奏でてんの。あたしの読解じゃ、あの子の手紙には、呼吸も、ため息も、遊び心も、──消えてるのよ」
「……抑圧されてる?」
「たぶんね。本人はまだ気づいてないかもしれない。でも、“自由じゃない”って、あたしには聴こえるのよ、音で。
──このままだと、あの子、あたしらにすら助けを出せなくなるわよ」
司郎は手紙を持ったまま、風に煙を吹いた。
「行くか?」
梶原の問いに、司郎は無言で首を振った。
「……今回は、別の手を打つわ。あたしたちが行けば、それこそ外交問題よ。魔界が“龍界に対して使者を出す”ってのは、ただ事じゃないわけ」
「なら……?」
司郎は手紙の裏に、するりと指を滑らせ、細い巻紙を取り出した。
そこには、あやのの筆致に似せて書かれた、短い便箋が添えられている。
「“この子の歌を聴いてみたい”って言ってた、昔、あたしが世話した研究家の息子がいるの。魔界と龍界の“橋渡し”役。元は龍界の僧籍にいたから、表向きは“修行者の再訪”って名目でね。あの子が、気づいてくれれば……そこから風が動く」
「……名前は?」
「蘇芳。歳はまだ若いけどね。耳がいいのと、嘘を聞き分けるのが得意。あの子にとって、最も害の少ない“外部の他者”よ」
梶原はうなずいた。
「……幸は向こうにいる。今のところ、強制的に何かをされた痕はねえ。けど、もう時間の問題だ」
司郎は静かに言った。
「“囲い込む愛”ってのはね、見た目はやさしさでも、本質は、檻なのよ。美しい金の鳥籠──中にいるのが、あたしの大事な子じゃ、黙ってらんないわ」
夜。
作業場の屋根に座って、梶原は夜空を見上げる。
魔界の星は、静かに脈打っていた。
「……おまえの声、ちゃんと届いてるからな」
手にした工具箱の中に、一輪の銀の花──
あやのが最後に送ってきた、紅銀の花の押し花が、大切にしまわれていた。
「何があっても、絶対に取り戻す。誰にも、おまえを“囲わせたり”しねぇ」
──それは誓いだった。




