第四十六章 熱を隠す掌
数日後の午後。
授業と研鑽の合間、あやのは月麗からの招きで、
龍界王宮の一角にある**調音の間**を訪れた。
そこはかつて、月麗の兄が音律を練習していたとされる、
音に特化した閉鎖空間──
「ここなら、君の声を誰にも邪魔されずに響かせられる」
月麗は、そう言って静かに扉を閉めた。
中は静謐そのもので、音が澄んで弾けるような空間だった。
石の壁は特別な鉱石で覆われ、天井には星を模した細工があった。
「どう? 気に入った?」
「……はい。すこし、息が詰まりそうなくらい静かで……でも、嫌いじゃないです」
あやのがリュートを爪弾くと、その音が天井に昇り、柔らかく降りてくる。
まるで、誰にも触れられない“ひとりきりの音”だった。
月麗はその響きに、しばらく目を閉じて聴き入っていたが──
やがて、ふいにあやのの肩へそっと手を添えた。
「……このまま、ここにいればいい。誰にも君を見せなくていい。……私だけが、君の音を聴いていられるなら、それでいいって──思ってしまう」
あやのの指が、止まる。
「……月麗さん?」
月麗は、はっとして手を離した。
「ごめん……そんなつもりじゃない。冗談だよ、ほら」
微笑むその顔はいつもどおり。
けれど、指先が微かに震えていた。
その晩。
幸は窓際で、じっと風のにおいを嗅いでいた。
鼻先をピクリと震わせ、低く喉を鳴らす。
(……どうしたの、幸)
あやのが近づくと、幸は“誰かの気配”を感じ取ったように、扉の前に移動して座る。
あやのが扉を開けたが、そこには誰もいなかった。
ただ、空気にほんのりと──
月下蓮の香りが、残っていた。
「月麗さん……」
あやのは夜風の中で小さく呟いた。
「あなたは、やさしすぎて。
……でもそのやさしさが、どこか、誰かを閉じ込めてしまいそうで、怖い」




