第四十三章 風、動く
龍仙洞での第三の授業を終えて数日──
泉での出来事以来、月麗はやや距離を取るようになった。
やさしさは変わらない。けれど、少し抑えられていた。
あやのもまた、空気が少し澄んだような安心の中で、日々の学びに集中していた。
そんなある日。
龍仙洞の中庭にある「公聴殿」にて、突然の“集会”が行われるという報せがあやののもとに届いた。
しかも、主賓としてあやの自身が名を呼ばれている。
「え? 私が、なぜ……?」
招集者は、龍界の薬師筆頭・千蔵。
出席者は、学者・調薬官・一部の王族──
あきらかに「異例の構成」だった。
【公聴殿】
朱塗りの扉が開かれ、あやのが入ると、そこにいた者たちは一斉にこちらを向いた。
視線には敬意と……ほんの少しの警戒が混じっていた。
壇上に立つ千蔵が、静かに告げる。
「本日、ここに集ったのは“龍仙洞第三調薬記録”に関する重大報告のためである」
あやのの胸に、一抹の緊張が走る。
千蔵は、あやのが心臓薬を調合した際に作成された記録を、龍界の中央学府に提出していた。
その解析結果が──あまりにも「異常」だった。
「諸君。この少女の声がもたらした薬効は、龍の心拍変動において未曾有の安定曲線を描いている」
ざわめきが起きる。
「これは単なる偶然ではない。術理でも魔理でも説明のつかぬ“音の共鳴現象”だ。すなわち、彼女は龍の生命波と直接調和できる、極めて稀な“媒介体”である可能性がある」
あやのは愕然とした。
(私が……? ただ、調和を感じていただけなのに……)
「よって、本日より彼女は特級学術聴講生として位置づけられ、龍界王室直属の研究庁へ定期的に出入りする権限を持つ」
どよめきが広がる。
それはつまり──
“政治”の中枢に名前が載ったということだった。
【風の楼・帰還】
夕方、風の楼に戻ると、月麗が玄関に立っていた。
あやのの顔を見て、ふわりと笑う。
「聞いたよ。おめでとう。君は、もう“学びに来た者”ではない。これからは、龍界の一員として見られることになる」
「……そんなつもりじゃ」
「わかってる。でも、それが世界の“まわり方”なんだ」
そして、月麗はほんの少し、言葉を置いてから続けた。
「これから、君の周囲には多くの“声”が集まる。
称賛と、憧れと、そして嫉妬と。私の手を、また取ってくれる?」
あやのは少しだけ目を伏せ、
そして、静かに首を横に振った。
「……自分の足で立ってから、改めて考えます」
月麗の瞳が、ほんの一瞬揺れた。
だがその後、彼は朗らかに笑った。
「……じゃあ、それまでは。僕の立場から、しっかり君を支えるよ。“記録者”としてでも、“奏者”としてでも──ね」




