第三十四章 風の楼の夜──手紙を書くあやの
龍界の夜は、深い青と銀の霧に包まれていた。
「風の楼」の灯籠に小さな火がともり、
あやのは机に向かい、筆をとる。
外では幸が丸くなって寝息を立てている。
遠くで鳴く風鈴の音を背に、あやのは静かに文を綴りはじめた。
司郎さんへ
お元気ですか?
こちらはまだまだ慣れないことばかりです。風の音も、薬草の香りも、歩く道の石さえ見たことのないものばかりで、私は毎日が“知らない”の連続です。
でも、不思議と怖くはありません。
たぶん、私の中に残っている“司郎さんの声”が、今でもちゃんと聞こえているからだと思います。
「怖がるな、信じろ」と言ってくれるような、あの声が。
あの劇場で、私たちが一緒に音を見つけた日を、今でもよく思い出します。
こちらでは、音を“薬”に変える授業が始まりました。
私はまだ、風と呼吸を合わせるのが下手で、先生に「ただの雑草に戻したな」と言われてしまいました。
でも、少しずつできるようになっています。……本当です。
司郎さんにも見せたかったな。あの草が金色に香る瞬間を。
また、いつか。
梶くんへ
元気にしてますか?
ちゃんと食べてますか? 夜は冷えてませんか? ひとりで張り切りすぎて無理してないですか?
ああ、うるさいですね。ごめんなさい。
でも、やっぱり気になります。
私は、ここで“学び”を始めました。
難しくて、知らないことばかりで、時々、声を出すだけで涙が出そうになります。
でも、そばに幸がいてくれるので、ちゃんと平気です。
梶くんの手から離れても、この子は変わらず私を守ってくれています。
とても賢くて、強くて、そして……よく唸ります(笑)
授業は厳しいけれど、私がここで得たものを、
必ずあなたに返せるように努力します。
私が帰るまで、どうかどうか、魔界を壊さないでくださいね。
──
最後に、封筒の裏にこっそり書き添える。
“どこにいても、私はちゃんと繋がっているよ”
そしてそっと、銀の封蝋で封をした。
風が吹いた。
あやのの心のなかの小さな灯火が、ほんの少しだけ、強くなった気がした。




