第三十三章 再会──風のほころび
午後の霧が晴れはじめ、龍仙洞を出てすぐの石畳。
あやのは草の香をまとって、静かに歩いていた。
(思ってたより……ずっと難しい)
花を開かせたあの瞬間。
星眼を使わず、ただの“感覚”で気を読んだ、あの短い奇跡。
風と音と、気と、声。
すべてが重なったときにだけ見える「調和」。
その感触が、まだ胸に残っていた。
と──
「やあ。今日の“学び”はどうだった?」
龍仙洞を見晴らす石橋の手前に、月麗が立っていた。
軽やかな装束。
髪を風に遊ばせながらも、どこか整った姿勢で、笑っている。
あやのは、ふっと息をついた。
「……疲れた。でも、すこし、面白かったかも」
「千蔵にしごかれたんだね」
「……うん。でも怒鳴ったりはしなかった。怖いけど、優しい人だった」
「ふふ。千蔵は龍界でも最古の薬師のひとりだよ。
君が“調和”の感覚を掴んだって聞いたとき、彼、珍しく褒めてた」
「ほんの少しだけ、だけどね」
あやのは、照れたように笑った。
月麗はその横顔を見つめ、ふと、声のトーンを落とす。
「……君は、本当に、来てくれてよかった」
あやのは言葉に詰まる。
その目は真剣だった。
笑っているようで、笑っていない。
どこか“寂しさ”に似た何かが、その奥にある。
「僕はずっと、君にここを見てほしかったんだ。君が“外”から来たからこそ、気づけることが、たくさんあると思ったから」
「……それだけ?」
あやのの声が少しだけ低くなる。
月麗は微笑む。
「……それだけじゃ、ダメ?」
「ズルい言い方は、相変わらずだね」
「君が笑うなら、ズルくてもいい」
その瞬間──
月麗は、あやのの手をそっと取った。
ほんの一瞬、指先だけが触れ合うような、軽やかな仕草。
だが、あやのの背後から現れた黒い影──幸が、
低く「ウゥ……」と唸る音で、すぐに引き離された。
「……やっぱり、君の番犬は厳しいな」
月麗は苦笑しながら、幸に頭を下げた。
「失礼。彼女の意思に反することは、しないよ」
あやのは何も言わず、手を引っ込めたまま、月麗をじっと見た。
「でも……」
「ん?」
「ありがと。呼んでくれて。……来てよかったって、ちょっとだけ思ってる」
それだけ告げると、あやのは歩き出す。
幸がぴたりと寄り添う。
風の楼へ続く階段を、音もなくのぼっていく。
月麗はその背を見つめ、ほんの短い溜息をついた。
「……“ちょっとだけ”か。……やっぱり君は難しい人だ」
それでも、その声にはどこか嬉しそうな響きがあった。




