第三十三章 かつての旋律、これからの響き
朝、光が柔らかく差し込む「出るビル」4階テラスに、木製の大テーブルが広げられていた。
テーブルの中央には、あやのと司郎、そして梶原が徹夜で仕上げた縮尺模型が鎮座している。旧・蔵前コンサートホールを包み込むように新たに設計された「共鳴の回廊」は、すべての音が交わり、共鳴し、再び静けさへと還る構造だった。
光と影を拾うように、半透明の素材で組まれた模型。天井高の変化、床材のグラデーション、壁の響き具合──。どれもが、音楽を視覚化しようとする意志の結晶。
東堂教授は、それを前にただ黙っていた。
眼鏡の奥の目が、ほんのわずか潤んで見える。
「……時間ってのは、こうも綺麗に、過去を洗うもんなんだなあ」
模型を覗き込む教授の声は、まるで誰かに語りかけるようだった。あやのは、その誰かがもうこの世にいないことを知っていた。
その魂は、あやのの歌声と、触れた指先から伝わる「生きた音」で、静かに鎮まっていた。
彼女はもう、ここを迷宮とは思っていない。ただ懐かしい舞台の向こうから、新しい旋律を待っているだけだった。
「君たちは、“慰霊”なんて安っぽいことはしなかった。ちゃんと、あの子と話をしたんだな」
教授は言った。
「これが、“答え”だ。あの場所に、未来をくれるのは──君たちだ」
司郎は、ちょっと照れくさそうに鼻を鳴らす。
「こっちは建築で喋ったつもりだ。だがまあ……そっち(あやの)の耳と心がなきゃ、無理だったろうな」
梶原は模型の角度を直しながら、そっと一言だけ添える。
「……ようやく、建てられるな」
あやのは黙って頷いた。風がふわりと吹き抜け、模型の上に差し込む光の屈折が、ホールの天窓に似た形を作った。
それはまるで、あの場所にもう一度音が降る──そんな未来を約束するような、静かな祝福だった。