第二十四章 あんたはどうすんのよ
──深夜。三人と一匹の家の庭。
魔界の空は、星の位置も月の満ち欠けも人界とは異なっていた。
夜空はただ、静かに、暗く、澄んでいる。
そのテラスに、司郎正臣が腰掛けていた。
着流しの上に羽織を引っかけ、手には湯飲み──中身は、どう見てもお酒だった。
あやのが来たことには、最初から気づいていたらしい。
彼女が無言で隣に座ると、司郎はふぅ、と小さくため息を吐いてから言った。
「……アンタさあ」
「うん」
「“行く”の?」
あやのは、しばらく沈黙していた。
その間に、司郎は煙草を一本取り出し、火をつけた。
火花が散り、夜の空気に一筋の白が溶ける。
「……まだ、“行く”って決めたわけじゃないよ」
「はっ。じゃあ、“行かない”の?」
「それも……違う」
司郎は、煙をくゆらせながらあやのの方を見た。
その視線は、いつになく真っ直ぐだった。
「“迷ってる”って言うには、もう目が覚めすぎてる顔してんじゃないのよ」
「……!」
あやのは、はっとして司郎を見る。
「アンタねえ、行くこと自体は別に否定しないの。むしろ、あの龍王のとこに行って何か吸収してくるなら、悪くない話だとは思ってるわよ?」
「でも?」
司郎は、湯飲みをぐるりと回してから、低く言った。
「でもね。“何のために行くのか”だけは、絶対に自分の言葉で持っていきなさい。“誰かに薦められたから”じゃなく、“あの人が望んでるから”でもなく、アンタ自身が、“何を見たいのか”“何を持って帰るのか”。そこだけは、絶対ブレちゃだめ」
あやのは、目を伏せた。
夜の風がそっと通り抜け、彼女の髪を揺らした。
「……たぶん、わたし、自分の世界の“枠”をちゃんと見てみたいんだと思う」
「ふむ」
「いろんなことを記録してきたけど、それが“正しいかどうか”なんて、まだわからない。でも、見たことのない文化とか、人とか……そういうのに出会った時、自分の“見え方”がどう変わるのか、知りたいの」
「──それよ」
司郎は指をぱちんと鳴らした。
「“何を見たいか”が、ちゃんとあるじゃない。
じゃあ、あとはもう、“どう戻ってくるか”だけね」
「……戻ってくるって、決めつけるんだ」
「当たり前でしょ。あたしの助手が、一度出たきりで帰ってこないなんて、そんなの許すわけないじゃない」
そう言って、司郎はにやりと笑った。
だけど、その目の奥は、ほんの少しだけ濡れていた。
「それに、アンタの帰る場所は、ここだから。
“帰る家”ってのは、そういうもんでしょ?」
「……司郎さん」
「泣くな。鼻水垂らしたら肩貸してあげないからね」
「垂らしてないってば……」
ふたりは少し笑った。
それから、しばらくは何も言わずに、ただ夜空を見上げていた。
風が、またひとつ、星を運んでいった。




