第十七章 白銀花の贈り物
それは、夕暮れの直前だった。
あやのは、迎賓館の中庭で一人、湯を沸かしていた。
梶原は魔界の議会と打ち合わせ、司郎は地霊の改修案を確認に行っていて、
ほんの束の間、誰の気配もない空白の時間が流れていた。
風がやさしく髪を揺らす。
そのとき、あやのはふと背後に気配を感じた。
「……ユエリーさん?」
「あたり。やっぱり、君には気づかれちゃうね」
軽い調子の声だった。
けれど、どこか張り詰めた空気も感じられる。
あやのが振り向くと、そこにはいつものようにきらびやかな衣をまとった月麗がいた。
だが、今日は妙に──装飾が少なかった。
髪も下ろしたまま、ただ風に任せている。
「君に、ひとつ、渡したいものがあるんだ」
そう言って、月麗は懐から、小さな花を取り出した。
それは、**白銀に透き通る花弁をもった、一輪の“宝石花”**だった。
──龍界の花。
その名は「白銀花」。
伝説によれば、**“想いを捧げるが、それを語れぬ者が咲かせる”**と言われる、
希少で、繊細な花。
「あ……」
あやのが思わず息をのむと、
月麗は、その指先にそっと花を乗せた。
何も言わない。
何も説明しない。
ただ、目だけが、何かを伝えようとしていた。
花弁が光にかすかに透けて、中心には赤く小さな煌めき。それは、燃え尽きる寸前のような、淡い情熱の名残だった。
「これは……?」
「ああ、それ、こっちの風習ではね、“旅立ちの御守り”みたいなものなんだ」
月麗は、にこりと笑った。
「君が、また道を選ぼうとするとき。
この花が、何かの足しになればいいなって、思って」
あやのは、少しだけ困ったように笑った。
でも、その表情には、まっすぐな温かさがあった。
「……ありがとう。大事にするね」
月麗は、その返事だけで、すべてが満ちたようだった。
何も言わず、もう何も求めず。
ただ、心のなかの“好き”を、そっと花に託して。
「じゃあ、行くよ。君がどこへ向かおうと、私は私で、生きていくから」
軽やかな声とともに、
月麗はふわりと踵を返し、風の中に身を溶かすように去っていった。
あやのの手の中には、
銀の光を放つ、一輪の花だけが静かに残っていた。
触れれば壊れそうなそれは、
けれど確かに、誰かの千年の孤独と、初めての恋が込められた贈りものだった。




