第十二章 ふたりの男
あやのが龍王のもとで、身体と心のあり方について学び始めた日々。
それは、梶原と司郎にとってもまた、
思いもよらぬ問いを突きつけられる日々の始まりだった。
梶原は、その日の夜、ひとりで屋敷の裏庭に出ていた。
空気はひんやりとして、遠くの山から鳥の声が風に混じってくる。
幸がそばに寄り添っている。
だが彼女もまた、どこか気を遣っているようだった。
──“いま、俺に何ができる”
梶原は、拳を握った。
あやのが「変わるかもしれない」と言ったとき、
驚いたわけではなかった。
恐れたわけでもない。
ただ、答えが出せなかった。
彼は元より、“在り方”などに頓着しない鬼だった。
性別も、外見も、命の長さすら違う者を、仲間として、家族として受け入れて生きてきた。
だが──
いま、あやのが「本当に変わっていく」となったとき、
その変化の先に、自分がいるのかどうか──それだけが、胸を締めつけた。
「……俺は、あいつの何なんだ」
ふと呟いた。
愛している。
誰よりも大切だと思っている。
だがその感情すら、
彼女の“変化”の中では、ただの“過去に与えられた関係”になってしまうのではないかという、不安。
そのとき。
「悩んでるわねぇ、バリバリに顔に出てるわよ」
ふいに、後ろから声がした。
振り向くと、司郎正臣が煙草をふかして立っていた。
いつの間にか庭に降りてきたらしい。
「……司郎さん」
「言っておくけど、あたしはあんたみたいに真っ直ぐな想い持ってないわよ。この子がどう変わろうが、別にどうでもいいの。ただ──」
彼は、煙をふっと吐いた。
「この子が“苦しむような変わり方”だけは、絶対にさせない。それだけ」
「……」
「悩んでもいい、迷ってもいい。でも自分のこと嫌いになったら、あたしは全力でぶん殴るわよ」
司郎は、肩をすくめた。
「あと、あんたに言っとく。もしあやのが変わったことで、あんたが“彼女の隣にいる資格がない”って思うなら、
──それ、クソほど自己中な逃げ方だからやめなさい」
「……逃げてなんか、いない」
「いいのよ、逃げても。ただ、置いてく気なら、あたしを倒してからにしてちょうだい」
梶原は、司郎の横顔を見た。
その顔には怒りも憎しみもない。
あるのはただ、**徹底した“信頼と責任”**だけだった。
──こんな人に、あやのは守られてきたのか。
そう思った瞬間、梶原は少しだけ、肩の力を抜いた。
「……俺は、逃げない。
どれだけ変わろうと、俺が惚れたのは、真木あやのだ。姿も名前も関係ねぇよ」
「……ふん。やっと言ったわね。
ま、それなら──」
司郎は最後の一口の煙草を吸って、火を指先で揉み消す。
「だったらあたしも、あんたの覚悟に乗ってやるわよ。あの子が進む道、ふたりで支えていきましょうや」
梶原は、司郎の目を見て、小さくうなずいた。
その夜、静かな風の中、ふたりの男が並んで立っていた。
過保護で、過剰で、うるさい大人たちかもしれない。
けれどその心の奥には、誰よりもひたむきな愛があった。
そして、あやのは──
まだ知らない。
自分が少し立ち止まって振り返るだけで、
背後にはこんなふたりが黙って立っているということを。




