第十章 龍の薬師
龍王・源龍月麗が一時的に“拘束”されているとされるのは、
魔界の西端にある古い文官用迎賓館だった。
牢獄と名はついていたが、実態は由緒ある貴賓室。
かつては高位の貴族や外交使節が滞在した場所で、月麗はその中央に設えられた広間の寝台に、気だるげに寝そべっていた。
あやのが訪れたのは、午後の光が斜めに差し込む静かな時間だった。
「……よく来てくれたね」
月麗は寝台の上から身を起こし、手を振ってみせた。
あやのは複雑な表情で、でも真っ直ぐに相手を見ていた。
「……ちょっと、話がしたくて。勝手に“嫁に”とか言われると、さすがにびっくりするけど」
「だよね」
月麗は笑った。
美しく整った顔に、どこかあどけなさが混じる。
「君の護衛、まだ目が笑ってないけど……まぁ、よしとしよう」
あやのは小さくうなずき、静かに座る。
「さっきの……その、回りくどい言い方になるかもしれないけど……。ユエリーさんって、“男”なの? “女”なの?」
「いい質問だね」
月麗は微笑みながら、するりと髪を指でといた。
「私は、“どちらでもあるし、どちらでもない”。
龍界に生きる者は、生まれたときは皆、無性体なんだ。その後の生き方や選択、あるいは周期的な変化によって、性が決まる。一生を通して変化し続ける者もいれば、ある時から定まる者もいる。私は、その中でも“両性を保ったまま”生きる者として、選ばれた」
「……選ばれた?」
「意思もあるけど、適性もある。龍界において“龍王”の資格は、両性具有であることが条件だった。理由は単純。“片方”に偏らないことで、すべての民を等しく見渡せるとされているから」
あやのは目を見開いた。
「……すごいな。わたし、人間の頃はそんなこと、考えたこともなかった。男か女かは、もう最初から決まってるものだって、勝手に思ってた」
「魔界でもそうだろう?」
月麗は、膝を抱えてあやのを見る。
「君は、“無性”から“女”へ変わったそうだね? しかも、その変化は“意思”によるものだったと聞いた」
「……そうらしい、です」
「稀有だ。とても興味深いよ」
月麗の声は、前のような奔放さを欠いていた。
代わりに、ある種の尊敬のような色がこもっていた。
「もし君が……“身体とはなにか”、“性とはなにか”を知りたいのなら、龍界に来てみないか? あそこは“薬師の楽園”とも呼ばれている。体と心、命のかたちを知ろうとする者たちが、学びを深めてきた場所だ」
「薬学……?」
「“性の仕組み”は、すなわち“生命の仕組み”だ。
命のかたちを操ること、理解すること、守ること。
君が興味をもつなら、いつでも歓迎する。君のような感性を持つ記録者は、過去にいなかった」
あやのは、言葉を失った。
誰にも言っていない。
──自分の変化が、「本当にこのままでいいのか」
ほんの少しだけ、戸惑ったことがある。
それを、この龍王は、まるで見透かしたように言葉にしてしまう。
「考えておいて。もちろん、“お嫁さんになって”は撤回するよ」
月麗は笑った。
「まずは、友達からはじめようか」
あやのは吹き出した。
「──それなら、いいかもしれません」
そしてふたりは、陽だまりの中で、静かに笑い合った。
扉の外、ずっと睨みをきかせていた梶原が、
「なぜか負けた気がする」とひとり呟いていたことを、あやのはまだ知らない。




