第九章 龍来たる
あやのたちが仮住まいの屋敷に戻ると、その場の空気は明らかに、いつもと違っていた。
魔界議会から派遣された護衛たちが血相を変え、何やら庭先で結界を張っている。
梶原が最初に察知した。
「……魔界の術式じゃない。違う、これは……“外界”の波動だ」
司郎も眉をしかめ、幸は全身の毛を逆立てて唸っていた。
そのとき、誰かがあやのを見つけ、叫んだ。
「記録者様!!」
護衛のひとりが駆け寄り、深々と頭を下げながら声を震わせる。
「お戻りで……良かった。先ほど、龍界より使者が現れました!」
「龍界……?」
聞き慣れない言葉に、あやのは思わず訊き返す。
「魔界に似て異なる、異世界。かの地に君臨するは、“龍王”と名乗る存在。魔族とも人とも違う、古き力の系譜……」
と、そこまで言いかけたときだった。
“ああ、噂どおりの声だ”
その声は、風に乗って現れた。
しなやかで、芯のある声。
低くも高くもあり、男でも女でもない、あるいはそのどちらでもあるような音質。
屋敷の奥、張られた結界の中心に、一柱の存在が立っていた。
衣は中華風。漆黒と金の文様が織られた長衣が風に揺れ、背には龍の鱗のような装飾。長い銀の髪が流れ、その瞳は碧と紅の異なる色を宿している。
何より──その身体には、男と女の両方の美が、完璧な調和をもって共存していた。
「貴殿が、“記録者”か」
あやのは一歩、前に出た。
「……はい。真木あやのです」
相手はゆっくりと歩み寄る。
「私は源龍 月麗。龍界を統べる“龍王”だ」
息をのむような気配が、周囲を包む。
司郎は、あやのの肩に手を添えた。
梶原は一歩前に出、微かに腰の武具に触れた。
「心配するな。“敵意”はない」
月麗は穏やかに微笑む。
「私は、前魔王と古き盟を結んだ者。彼が果てたと聞き、その最期を見届けに来た」
「……そうだったんですね」
あやのの表情に、少し哀しみが滲む。
「けれど──」
月麗が、その瞳を細めた。
「……それ以上に、貴女に会いに来た」
「……え?」
「“記録者”という存在、幾度となく歴史の中で伝承されてきた名。だがその正体は常に謎に包まれていた。
その“今”を担うのが──この、あまりに人間らしい少女だとは」
あやのは言葉を失った。
その目に映る“彼”は、まるで試すように、見透かすように、あるいは惹かれるようにあやのを見つめていた。
「我が名は、源龍 月麗──万象の記憶を司る龍族の頂き。記録者よ。貴女のその目に宿る“真実”を、私はこの目で確かめに来た」
次の瞬間、彼──いや、彼女とも言える存在が、あやのの前に立った。
「もしや、貴女は……“記録を超える者”ではないのか?」
その言葉に、あやのの星眼が、かすかに輝きを帯びる。
そして、世界が──また一歩、変わり始める。




