第八章:記憶の扉 III ─ 外の世界から来た“記録者”の断章
【Ⅲ】と記された最後の扉は、ほかの二つとはまるで異なっていた。
浮かび上がった記号は、魔界語ですらなかった。
それは──人間の言語で書かれていた。
「これ……旧い日本語?」
司郎が思わず口にしたその文字は、確かに彼らの世界のものだった。
けれど、その意味は複雑で曖昧で、どこか詩のように読めた。
“記録せよ。ここは忘れられた世界。
我はただ、音を記す者。
星の瞳を持たずとも、記すことはできる。
だが、帰ることはできぬ。
この地に我を遺し、記録を残す。”
「……記録者が、“外から来た”ってこと?」
あやのが静かに扉に手を触れると、空間がまたしても反転する。
視界がゆっくりと変わり、次に彼女が見たのは──大図書館のような空間だった。
だが、その空間はすでに崩壊していた。
──棚は倒れ、ページは灰となり、記録のすべてが風にさらわれていた。
ひとり、そこに座っていた影がいた。
白衣を纏い、眼鏡をかけ、痩せた体。人間だった。
その人は、こちらに背を向けたまま、ノートのようなものを開いている。
「見つけたか……“次の記録者”よ」
「この世界は閉じられている。
一度入り込めば、出る道は封じられる。
だが、誰かが来ると、私は信じて記した」
声はあくまで穏やかで、寂しげだった。
「私は、かつて人間だった。
研究の果て、境界を越えてここに迷い込んだ。魔法は使えず、戦う術もなく、私はただ“記録”することだけが許された」
「そして知った。
記録者とは“存在の保管庫”だ。記憶だけでなく、魂の継承すらも……」
あやのの星眼が光を放つ。
その瞬間──彼女は見た。
男の魂が、彼の書き残した最後の一冊の本の中に“封じられている”ことを。
「君が来たなら、この記憶は開いていい。私の記録も、君に引き継がれる。私はここで終わる。だが、君が歩けば、記録は続く」
男の姿がゆっくりと光に溶けていく。
「“世界を遺す者”へ。君の未来に祝福を。そして願わくば、もう一度……
“外の世界と、ここが繋がる日”が来ますように──」
光のページが舞い上がり、記録空間は完全に崩壊を始める。
あやのは最後に残された一冊を抱えて、星眼の輝きでその記録を“引き継いだ”。
──そして彼女は、元の世界へと帰還する。
カナ魔界の遺構 ─ 再び
崩れゆく記録庫の中、あやのは静かに目を開ける。
司郎と梶原が、どこか神妙な面持ちで彼女を見ていた。
「あやの……戻ってきた?」
「うん。……全て視てきたよ」
あやのは、手に残された記録の書を見つめる。
「魔王の罪。私の始まり。
そして──外から来た“最初の記録者”」
司郎が、やや驚いた顔で言う。
「つまり、“あんたが最初じゃなかった”ってことか。
それってつまり、外と魔界は完全には断絶していないってことよね?」
梶原は静かに頷いた。
「ならば、お前が選ばれたのも偶然じゃない。
すべては、続いているんだな。記録者としての系譜が」
あやのはそっと本を抱きしめた。
「この記憶は、私が守る。必ず、誰かの助けになる」
星眼が、淡く光った。
それは“記録者の証”──魔界の記憶を継ぐ者にのみ、許された光。
そして、これがまだ始まりにすぎないことを、彼女は知っていた。




