第七章:記憶の扉 II ─ 歌う石と光を孕んだ子
ひとつ目の記憶を視終えたあやのは、しばらく沈黙していた。
手のひらには微かな震え。だがその奥に、決意が光る。
「……次は、これを」
あやのは第二の扉へと手を伸ばす。
【Ⅱ】──歌う石と、光を孕んだ子。
触れた瞬間、重力が反転したような感覚に包まれ、
視界は優しい音に満たされた。
──風の音ではない。
──水のせせらぎでもない。
それは──**「音楽になる前の音」**だった。
その場所は、不思議な光を放つ石の森だった。
石でできた木々、石でできた小鳥。けれどそこには温度があった。
石たちは、風に共鳴し、旋律を奏でていた。
「これは……記憶じゃない。歌う大地……?」
あやのは歩き出す。すると、一際大きな“歌う石”の根元に、何かがいた。
──小さな籠。
その中に眠る、新しい命。
その子は、真珠色の髪を持ち、瞳は閉じていた。
けれど、籠の上にふわりと立つようにして現れたのは、一体の獣だった。
金色のたてがみ、白い獅子のような姿。
だがその目は、あまりにも澄んでいた。お正月様──そう、ぬらりひょんが語っていた歳神だった。
「その子は“この世の音”をすべて孕んでいた」
「生きた記録、そして“歌になる前の歌”」
「だから私はこの子を置いた。世界に触れ、世界を知り、やがて“歌”になるように」
神は誰に語るでもなく、空へ向けて言葉を紡いでいた。
そして、お正月様は静かに去ってゆく。その後、籠のそばに現れたのは、ぬらりひょんだった。
小さな赤子を抱き上げ、目を細めて笑う。
「……あの方が託した子なら、わしが育てよう。
“おまえはそのままでいい。あるがままにあれ”──そう言われたからのう」
あやのは、思わず膝をついた。
「……わたし、あの時──歌を聴いていたんだ……石の……音の……」
その記憶は確かに、彼女の中に“在った”。
音になる前の共鳴。歌になる前の記憶。それが──彼女の原初だった。
次の瞬間、記憶の空間がゆっくりと崩れていき、彼女は再び、カナの記録庫の中央に戻った。
司郎と梶原が見守る中、あやのはゆっくりと目を開く。
「……お正月様が、私を、置いていったの。あの石の森に」
「神様の託児所かよ……」司郎が冗談めかすが、目は真剣だった。
「それが“光を孕んだ子”──あやの、お前だったのか」
梶原は呟くように言い、そっとあやのの背に手を添える。
「うん。でも、私は……ここまで育ててくれた皆がいたから、今の私になれた。ぬら爺も、司郎さんも、梶くんも……」
あやのは微笑む。
「あとひとつ。……最後の記憶を、取り戻します」




