第四章:カナ魔界の遺構──沈黙の門と三つの問い
魔界の地図には存在しない“空白地帯”。
霧が絶えず流れ、音を吸い込むように沈黙した谷の底に、それはあった。
《カナ魔界の遺構》──魔界最古の記録の地。
崩れかけた大理石の柱、苔に覆われた床。
そしてその中心に、巨大な石扉が聳えていた。
「……閉ざされてるな。鍵も、取っ手もない」
梶原が試しに扉に手を当てる。が、びくともしない。
司郎は足元の彫刻を見ながら、眉をひそめた。
「これ、文字ね。けど……“言葉”じゃない。記録された“問い”……って感じかしら」
あやのは一歩進み、石扉の前に立つ。
星眼が、石に刻まれた不可視のインクを浮かび上がらせる。
そして、文字は彼女の目の中で意味を持った形となって結ばれた。
──【第一の問い】
“見えぬものを映す瞳とは何か?”
「……これは、私自身のことを言ってる」
あやのは答える。
「星眼。一度見たものを忘れず、見えないものすら記録する、私の瞳です」
文字が淡く光を放ち、石扉の一部が静かに沈んだ。
次の文字列が浮かび上がる。
──【第二の問い】
“記録とは、誰のために遺されるか?”
司郎が口を開く。
「ふつうなら『未来の誰か』って答えるところだけど……
ここは魔界。時間の概念が異なるなら、過去かもしれないわね」
あやのは目を閉じ、記録者としての責務を思い出す。
「……記録は、“過去にも未来にも、全ての存在のために遺すもの”。
それは、時を超える希望でもあるから」
その瞬間、第二の石板も音なく沈んだ。
そして最後に、最も複雑な紋様と共に、問いが現れる。
──【第三の問い】
“記録者よ、おまえは誰のために記録するのか?”
空気が張りつめる。
あやのはしばらく黙ったまま、焚き火の夜の記憶を思い出す。
──梶くんが言った、「誰かを守るため」
──司郎さんが言った、「生かす人になればいい」
──ザイラが見せた、「語られぬ歴史」
あやのはゆっくりと口を開いた。
「私は──まだ知らぬ誰かのために記録します。
恐れや孤独に負けそうになった時、ページをめくって『誰かが歩いた』と知ってもらうために」
すると石扉の全体がやわらかく発光し、音もなく開いていく。
内側には、無数の石板と、本の形をした記録媒体が整然と並ぶ光景。
知識の霊廟──“カナの記録庫”が、記録者の到来を認めた瞬間だった。
あやのはそっと、星眼で扉の奥を見渡す。
「ここに、“ヨミの民”の真実がある。今度こそ──知る時が来たんですね」
彼女の背には、剣と盾を携えた梶原と、建築家の目を輝かせる司郎が立っていた。
「じゃあ記録開始といこうか、天才の娘さん」
「うん。記録者・真木あやの、カナ魔界の遺構への正式侵入を開始します」
彼女のペンが、再び、知の光を導く。




