第三章:カナ魔界の遺構へ
風が止んだ。
そしてあやのの視界に、光のない静寂が広がった。
──いや、それは「何も見えない」のではなかった。
「すべてが見えすぎて」、一瞬、彼女の認識が麻痺したのだ。
**ザイラが去る間際に渡した“知識の種子”**──それは、まるで地層のように幾重にも重なった情報の網。
古代魔界語、植物の精霊分類、建築構文、歌として詠まれる魔術の断片。
さらには、“ヨミの民”そのものの系譜にさえ、指がかかりそうなほどだった。
だが──
「……分からないことだらけ、です」
夜、焚き火を囲んでの一幕。
あやのは毛布にくるまりながら、焚き火の炎に映る手帳を見つめていた。
そのページには、星眼で視た紋様や記号、詩のように連なる魔界語の断片が綴られている。
「記録はできた。でも……意味が、追いつかない。**これは、知識というより“問いの集合”**ですね」
「当然だろう。全部一気に理解できるなら苦労はしない」
司郎が木の根に背を預けて煙草に火をつける。
「逆に言えば、ザイラは“わざと”そうしたんじゃないの?
あんたが、それを求めて動くように。答えを探して、歩くようにさ」
「つまり、試練か」
梶原が短く言う。
「──そう。だから行くべき場所がある。“カナ魔界の遺構”」
あやのは静かに顔を上げた。
「ザイラの知識の中に、ほんの短い記述がありました。
“ヨミの民はカナの刻みし地下の記憶に宿る”……と。
カナ魔界は、今では禁域扱いされていて、誰も近づかないそうです。でもきっと、そこに答えがある」
「ふーん、あたしは建築的に興味あるわね。地下都市とか遺構ってそそるわよ」
司郎は火を見ながらにやりと笑う。
「近づく者がいないというなら、何かいるか、何かが起きたかだな。
……危険だ。だが行くのなら、俺は守る」
梶原は鞘に収めた剣に手を添えながら、あやのの目をまっすぐ見た。
「……ありがとう、梶くん。司郎さん」
あやのは火を見つめながら、そっと頷く。
「この“問い”は、私だけじゃなくて、魔界という世界の根幹に触れている。
記録者として、知りたい。ヨミの民とは何か、魔界とは何か──そして、なぜ私がここにいるのか」
火の粉がはぜて、星空へ舞った。
その夜、幸はいつもよりあやのの足元にぴったりと寄り添って眠った。
次の朝、彼らは“カナ魔界の遺構”へ向けて出発する。そこは、記憶と知識の根源が眠る、魔界の最奥の地。
まだ誰も知らない真実を求めて。




