魔術 : 厳禁の夕食
あの騒動のあった夕方──。
魔界の小さな宿の一室に、湯気と香ばしい香りが満ちていた。
長机の上には、司郎特製の鶏もも肉のロースト。黄金色に焼けた皮が、ナイフを入れるたびにぷちりと音を立てる。
梶原が煮込んだ里芋のうま煮も、味が芯まで染みてほろほろと崩れる出来映えだ。
けれど、空気はどこかぎこちない。
「つまり──あやのは、保有魔力がなぜか無限にあるせいで、ただの火球の呪文が不死鳥の召喚になっちゃったってわけ?」
司郎はローストチキンの骨を器用に避けながら、じゅっと音を立てて肉を噛みしめた。
香草の香りと、火の精霊に焼かれかけた今日の記憶がよみがえる。
「……はい」
あやのはしょんぼりと頷いた。目の前の皿に、ナイフもフォークも手をつけられずにいる。
「……ん」
梶原も、静かに里芋を口に運びながらうなずいた。
いつもの無口な表情のまま、けれどその一言には重みがあった。
「この先も、こんなことを起こさないようにするには……あやのは、魔法の理論だけを勉強して、実技は封印した方がいいだろうな」
梶原の言葉は静かだったが、その裏にある現実はあまりに重たい。
司郎も、手を止めて、真剣な目で続けた。
「どこぞの馬鹿が“兵器利用”とか言い出す前に、ね」
それは、冗談ではなかった。
人間たちの世界では、「才能」という言葉は時に、拘束と利用の口実になる。
魔界とて例外ではない。あやのの持つ“無限の魔力”は、たとえ彼女自身が望まなくても、誰かが欲しがる力だ。
「そうね……あんたも、散々そういう目にあってきたんだから……わかるわよね?」
司郎が言ったのは、冗談交じりでも皮肉でもなかった。
彼自身、建築という力の使われ方を、何度も目にしてきたからだ。
「……ううう……はい」
あやのは肩を縮め、小さく答えた。
その横で、ぽん、と音を立てて幸があやのの膝に顔を乗せる。
黒い毛並みが艶やかに揺れ、瞳はじっと、主を見上げている。
「これは──」
司郎が改めて言葉を発した。
その声は、ふだんの皮肉っぽさをすっかり脱いで、まっすぐだった。
「三人と幸だけの秘密だ。……わかったな?」
しばしの沈黙ののち、梶原が無言でうなずいた。
幸も「くぅん」と小さく鳴いて応える。
「……はいっ」
あやのの声は、少し震えていたが、しっかりと真っすぐだった。
そうして、魔術の話はそこで終わりになった。
夕食の終わりにふさわしく、温かく、どこかしんみりとした空気のなかで──
三人と一匹は、それぞれの皿を静かに空にしていった。
不死鳥の召喚も、魔力無限の秘密も。
全部、今夜はただの夕食の裏話だった。
そして、その秘密が守られている限り──あやのの笑顔も、また守られる。
※エピローグ:翌朝、あやのが「湯を沸かそう」と唱えた結果、温泉がひとつ噴き上がったという。
もちろん、そのことも“夕食のつづき”として処理された。




