番外編 : あやの、禁術製造機となる
「いいか、あやの。まずは、簡単な火球からいってみよう」
梶原は不安を隠しきれぬ顔で、魔界魔術基本編──その、どこにでもあるような茶色い一冊の最初のページを開いた。
──集中しながら呪文を詠唱し、火の玉が顕現するように願うのが、せいかいである。
「呪文!」
あやのの瞳が、星のように輝いた。まるで宝箱を開ける子どものように、首をぶんぶん縦に振っている。
「いや、あのな……念のため言っておくけど、これはほんとにただの火球。灯りをともすとか、虫を追い払うとか、せいぜい敵の眉毛が焦げる程度の──」
説明は最後まで届かなかった。
あやのはもう、静かに目を閉じていた。掌を前に突き出し、長い睫毛の奥で何かを呼び寄せるように、口元が呪文を紡ぎはじめた。
「……あー……やな予感するなぁ……」
梶原が一歩後ずさる。
その瞬間、空気が震えた。大気中に漂う“火の要素”が、まるで磁石に吸い寄せられるように、あやのの小さな手のひらへと集まりはじめる。
「……ん?」
梶原が眉をしかめた時にはもう遅かった。
火の要素は爆発的に濃縮され、熱と圧が渦となって暴れだす。
――ゴゴゴゴゴ……ッ!!
「なんか……でかくね!?」
叫んだ瞬間、そこに現れたのは――
優雅に舞い降りる、炎の精霊の最上位存在。
長い髪のように燃え盛る炎をまとい、真紅の瞳であやのを見つめるそれは、確かにあの簡単な“火球”の呪文から生まれたものだった。
「──あっ」
あやのが一言、嬉しそうに呟く。
「……綺麗……!」
「綺麗じゃねぇぇぇぇぇええ!!」
梶原は本能的に後ろへ飛び退いた。魔界の空気が焼け、周囲の草原が一瞬で茶色に変色する。
「バカ!! そのまま撃ったら、魔界の三分の一が灰になるわよ!!」
その声と共に、別の方向から風が巻き起こった。
「反転術式・解!」
司郎だった。どこからともなく現れた司郎正臣が、あやのと精霊の間に飛び込み、右手で術式を逆転させる魔法陣を空中に刻んだ。
一瞬、火の精霊と司郎の目が合う。
──この小娘を、守る気か。
というような気配すらあったが、それでも、精霊は黙って燃え尽きるように形を崩して消えた。
焦げた地面だけが、そこに残った。
「……はぁぁぁぁぁ……」
司郎はでっかいため息をついて、その場にへたりこんだ。両手で顔を覆い、何かをぶつぶつ呟いている。
「なんで火球出すだけで、炎の最上級精霊が出てくんのよ……」
「だ、だって、説明には“願うように”って……わたし、“あったかい灯りが出ますように”って……」
「太陽を創るつもりだったの!?」
「……ううん、なんとなく……春の陽だまり、みたいな……」
「春の陽だまりで大陸焼けるかぁ!!」
司郎が叫び、梶原は遠くから小さく拍手を送る。
「でも……命中精度はゼロ。あやの、火の素質ありすぎ。次はろうそく一個分な」
「はいっ!」
あやのは満面の笑顔でうなずいた。
そして、その手元にある魔術書が、ひらりとページをめくる。
──第二章:雷の呼び方・初級。
「やめろォォォォォ!!!」
ふたりの男の絶叫が、魔界の空にこだました。数時間後、あやのは魔法を使ってはならないというルールが取決めとなった。
あやのはしくしくと泣きながらそれに従った。




