手紙:拝啓 司郎さんへ
拝啓 司郎さん
お元気ですか?
“出るビル”のこと、みんなのこと、トイレの太郎くんや田中さん、それに山形さん──きっと今も賑やかなんでしょうね。恋しい気持ちは、毎朝お茶を淹れるたびに思い出します。
こちらは静かな山の中、古い温泉宿に来ています。
梶くんとふたりきりで、やっとほんの少し、何にも追われない時間を過ごしています。
ほんとうは、もっと早く手紙を書くべきでした。
でも司郎さん、きっと察してたでしょう?
あの日、屋上で抱きしめてくれたとき、
わたしが何を選ぼうとしていたかを。
司郎さんは、わたしの“はじまり”です。
魔法みたいな音や、構造の美しさや、
人と人が暮らすってどういうことかを、
全部最初に教えてくれたのは、司郎さんでした。
あのビルの中で笑って泣いて怒って、
あれがきっと、わたしの“人間としての青春”だったのかもしれません。
そして今、わたしは“記録者”になりました。
星眼を持つ者として、過去を視て、未来を結ぶ役目を与えられました。
けれどね、司郎さん。
その肩書きの重さよりも、
わたしがわたしであることの方が、ずっと大事だと思うようになったんです。
誰かの役割じゃなくて、
ひとりの娘として、女として、人として──
大切な人と生きていたいと思いました。
だからこの手紙は、感謝とともに、報告のような、
でも本当は、ただ「また会いたいです」って伝えるために書いています。
次にお会いできるときは、
きっと少しは、まっすぐ立てるわたしでいたいです。
料理を振る舞わせてください。
建築の図面を一緒に見せてください。
そしてどうか、またあの“お父さんのような笑顔”で、
わたしを「馬鹿娘」と笑ってやってください。
ずっと、大好きです。
またね。
敬具
真木あやの
この手紙が司郎のもとに届いたとき、
彼はそっと眼鏡を外して、黙って夜空を仰ぎ見るかもしれません。
もしかしたらそのあと、煙草をくゆらせながら、
ひとりごとのように言うでしょう。
「──あの子は、やっぱりどこへ行っても、あたしの自慢の娘だわ」




