第四十三章 言葉よ、記録を照らせ
──盤の間。
静寂が支配する聖域に、ゆらりと黒い影が立つ。
「久しいわね、あやのさん」
声は八重垣。
だがその姿は実体ではない。
“影”として、虚構の深層から顕現した“言葉の亡霊”だった。
彼女の背には歪んだ盤の破片が漂い、
その記録はまるで墨のように滲んでいた。
「語られた記録が現実を歪めることを、あなたは証明してしまったのよ。
ならば次は、“どちらの言葉が勝るか”で決まる」
あやのは、真正面からそれを見つめた。
星眼が静かに開き、空気が張り詰める。
「虚構を語るあなたと、真実を語る私。
ならば、決着は……“記憶の場”でつけましょう」
盤が開かれた。
それは肉眼では見えない“記録の層”が広がる空間。
あやのと八重垣は、星眼を通してそこに“言葉”を刻む。
──口にした言葉は、そのまま記録となり、盤に作用する。
語られた記録こそが、次の歴史となる。
「私が記録するのは、亡き王が遺した平穏の歩み。
過ちも、赦しも、未来へ繋ぐ道筋。それは誰かのためにある記録──」
あやのが語るたび、盤の空間に光が満ちていく。
それは、王の微笑、梶原の手、司郎の声──
彼女の記録が覚えている、“生きた時間”の輝きだった。
対して八重垣は、冷ややかに囁く。
「でも、あなたは知らない。記録が争いを呼ぶことも、言葉が刃になることも──私がかつて記録した政争、謀反、失敗。そのすべてが、“記したからこそ”起きたのよ」
彼女が語ると、盤の空間に黒い記録が浮かび上がる。
焚書、暗殺、扇動された群衆──
真実だったかもしれない未来の断片。
「語ることは、呪うことと同じ。あなたはまだ、その重さを知らない」
あやのの手が、わずかに震えた。
だが──
背後に、立野の剣の音が響いた。
梶原の視線が、無言で語る。
──「それでも、お前は“記す者”だろう」と。
あやのは、再び口を開く。
「……たしかに、記録は凶器にもなる。でも、私はそれを選ばない。私は“灯すために”記す。悲しみがあったとしても、忘れず、埋もれさせないために」
星眼が、全開となる。
その虹彩の奥から、光の帯が盤全体に走った。
その光は、歪んだ記録をひとつずつ照らし、虚構を崩していく。
「あなたは、記した記録を恨んだ。
でも私は、“見届けた記録を愛する”ことを選ぶ」
八重垣の影が、静かに揺れ始めた。
光が届くたびに、彼女の記録が剥がれていく。
「……優しいわね、あなたは。でも、それがいつか裏切られる日が来たら──どうするつもり?」
あやのは微笑んだ。
「そのときは、もう一度書き直します。
だって私は、“記録者”だから」
その瞬間──盤が鳴動した。
黒き盤の中に潜んでいた虚構が砕け、
盤全体が“正しき記録のかたち”を取り戻す。
八重垣の影は微笑みながら、霧のように崩れていった。
「……あなたは、わたしの過去に似ていて、……でも、ずっと強い。ならば、未来を託してもいいかもしれない……」
そう残し、彼女の影は静かに消えた。
盤の間に、再び静けさが戻った。
だが、その中央には新たな“紋章”が浮かび上がっていた。
──星眼を戴く、記録者の証。
それは、語られた言葉が世界を救ったという、“言葉による勝利”の刻印だった。
あやのは、そっと目を閉じた。
「……ありがとう、八重垣さん。
これで、あなたの記録も……未来へ行ける」
そして──記録は、次の章へと進む。




