第三十七章 記されざる正史
夜。
盤の間は静まり返り、蝋燭の火が淡く揺れていた。
あやのはひとり、記録の盤の前に座していた。
星眼は光を蓄え、深く静かに澄んでいた。
「……“見えない”のではない。
“見えないようにされている”──そう、感じるの」
その瞬間、盤の縁から淡く光が漏れた。
光は言葉ではなく、“記憶”そのものだった。
触れた瞬間、あやのの視界が裏返る。
空間が沈み、記録の奥へと引きずり込まれる。
──そこは、まるで息を止めたような世界だった。
音がない。
色がない。
空も地も、ただひとつの“記憶の核”へと向かって螺旋のように落ちていく。
星眼の奥底に、古い、あまりにも古い記録が揺れていた。
──最初の記録者。
名も姿も、誰にも知られていない存在。
その者が見た“世界の創世”、そして“記録者の呪い”。
あやのの眼に映る。
燃えさかる空。
黒い大地。
その上で、何かを記す者の姿。
手には盤でも筆でもない──“目”だった。
“見ること”それ自体が、記録だった。
あやのの体に熱が走る。
星眼が共鳴し、焼けつくような幻視が脳を駆け巡る。
見えてはいけないものを、見ている感覚。
その奥で、声がした。
「記録する者は、全ての因果を記す。
だが、それは時に“世界の敵”となる」
場面が変わる。
古代の魔界。
かつて、記録者が“未来を予言しすぎた”がゆえに──国が滅びた。
人々が記録者を恐れ、忌み嫌い、最後は自らの記録ごと封印された過去。
そこにあるのは、“忘れられた正史”。
歴史の空白。
誰かが意図的に、盤から削り取った記録。
あやのは理解する。
「……この部分を、星眼で視てしまった私に……偽史の盤が反応してる。だから、“消そう”としてるんだ。正史を……記録者ごと」
目を開ける。
蝋燭の灯は消えていた。
あやのの手は盤の上にあり、額から汗が滴る。
「……これが、“あの人”が遺した本当の使命だったんだ」
かつて王が語った“記録を渡す者は、未来の敵にもなる”という言葉が甦る。
星眼が見た真実は、「ただ歴史を知る」ことではなく──
“歴史を蘇らせる”ことそのもの。
梶原が部屋に入ってくる。
「どうした、顔が真っ青だ」
あやのは、ゆっくりと顔を上げて言った。
「……私、視えてしまった。
この世界に、“二つの過去”があるって」
梶原が目を細めた。
「二つ?」
「“記された過去”と、“記されなかった過去”。
後者は、星眼にしか見えない。
そして偽史の盤は、それを完全に抹消しようとしている……!」
あやのの手のひらに、黒い焼け痕のような痕跡が残っていた。
記録の最深部に触れた証。
それは、もう引き返せない領域に踏み込んだことを示していた──




