第三十六章 偽史を刻む盤を追え
──盤が、軋んだ。
それはごく僅かな音だった。
だが、記録の盤に日々触れているあやのには、それが異変であるとすぐに分かった。
「……記録の一部が、消えてる」
指先が触れた箇所には、まるで“記された文字が誰かに消された”ような、黒い滲みが広がっていた。
「この未来、確かに私が記したはずなのに……」
背後に立っていた梶原が静かに問う。
「“盤が壊れてる”ってことか?」
「違う。盤じゃない……記録された歴史そのものが、誰かに“上書き”されてる。しかも、私の星眼では……その“書き換えの瞬間”だけが、見えない」
ふと、あやのの星眼が揺れた。
視界の奥に──闇の底に、かすかに浮かぶ“もう一枚の盤”の存在が、脈打つように感じられる。
それは明らかに、この盤と“似て非なるもの”。
「……黒い盤。偽の記録……?」
数日後。
あやのと梶原は、王の遺した書庫──王宮の地下にある記録保管庫を訪れていた。
そこは魔界中の公的記録が集められた場所。
星眼を持つ者にしか立ち入れない領域でもある。
古びた石壁に埋め込まれた石版をひとつひとつ、あやのが撫でるように視ていく。
「……あった。これ……この記録、時系列が“ずれてる”」
彼女が指差したのは、魔界内の小競り合いについての年代記だった。
だが、その記録には“存在しないはずの戦”が、詳細に記されていた。
梶原は顔をしかめた。
「それって、黒篠が襲ってくる前に幻視で見た……“起こらなかった戦”じゃないか」
「そう。起こらなかった未来が、記録されてる。でもこれは“誰かが視て、書いた記録”──つまり、別の記録者が存在してる」
夜、あやのはひとり、記録の盤に手を置いていた。
「……もし、誰かが意図的に“偽の未来”を盤に刻んでるとしたら。私の記録も、やがて侵食されていく」
彼女の眼が淡く光る。星眼が、幻視の先に何かを追っていた。
と、その瞬間──
盤に微かな“反射”が映った。
それは鏡像のようなもうひとつの盤。
黒い盤が、こちらを“覗いていた”。
「……見られてる」
背後で気配を察知した幸が、鋭く唸る。
梶原がすぐにあやのの傍に立つ。
「来るぞ。偽の記録を刻む奴らが……今度は“正史”そのものを、書き換えるつもりだ」
あやのは決意を固めたように、盤に手を置いた。
「見つけよう。黒い盤を。私の星眼なら、“本物と偽りの記録”は、必ず見分けられる。……例え、その記録が“存在しなかった真実”だとしても」
梶原があやのの手を取る。
「だったら俺は、“偽り”を斬る。お前の眼が示す先に、必ず辿り着く」
そして、盤が再び軋む音を立てた。
それは“次なる偽史”が動き始めた兆しだった──




