第三十一章 記録者の剣、立つ
「……これから、どうする?」
静かな問いだった。
魔界の薄闇の中、梶原は窓際で立ったまま、あやのの方を振り返らずに訊いた。
背中越しに問いかけるその声は、静かで、けれどどこか張りつめている。
あやのは一瞬だけ黙っていた。
まだ、夢の中にいた未来の残響が胸の奥で微かに揺れていた。
けれど──やがて、笑った。
「……これが、私が“星眼”を持って生まれた理由なのかもしれない」
その声には、迷いがなかった。
「記録するだけじゃ足りない。壊される前に、動かなきゃ。先に手を打たなきゃ、誰かがまた“記憶”を燃やそうとする」
梶原がゆっくりと振り返った。
「……覚悟はできてるか?」
あやのは頷いた。
「うん。これ以上、失いたくないから」
その言葉に、梶原の口元が微かに綻ぶ。
それは、戦場へ向かう者が見せる、最後の柔らかさだった。
「なら、俺も動く」
そう言った彼の眼差しには、すでに躊躇がなかった。
「“記録者の剣”として──公に立つ。お前の盾として、名乗りを上げる」
その言葉が響いた瞬間、
静かだった空間に、空気の流れが変わった。
梶原は長年伏せてきた鎧を手に取った。
魔界西域の将家に伝わる、墨金の戦装束。
記録を守るために鍛えられた“盾”としての証。
そして彼は、魔界王族に仕える近衛筆頭・立野腕と並び、玉座前にて“記録者の剣”としての正式な宣言を行う。
「我、梶原國護。魔界西域将家、直系にして──記録者真木あやのの剣なり。この命、彼女の記録と共に在り、彼女を脅かすいかなる者とも相対する」
その宣言は、かつての戦神の帰還とも、
そして“空の玉座”を守る宣言とも取られた。
反発の声も少なくなかった。
だが、王を敬愛していた者ほど、その意志を受け継ごうとした。
一方、あやのは盤の中に封じられた過去と未来の記録へ、少しずつ接触を始める。
それは「記録されていなかった戦乱の真実」や、「星眼が見てはいけないとされた映像」──時に危険な禁忌に触れることを意味していた。
だが、彼女は逃げなかった。
梶原が、傍にいたから。
ふたりは、それぞれに“剣”と“記録”を背負い、
動き出した魔界の新たな時代のただ中へ、静かに歩み始めた。
──その行く手に待つものが、
光か闇か、それすらまだ記録されていなかったとしても。




