第三十章 記録者、未来を見る
深殿の儀式が終わり、人々が静かに退場したあと。
最後まで残っていたのは、あやのと梶原──そして、“記録の盤”。
王の手を離れたそれは、今や完全にあやのの元にある。
だがその時まで、盤はただの静かな遺物に見えた。
揺れる光も、鼓動のような脈もなかった。
──けれど、それは夜半に変わった。
静まり返った寝室。
あやのの枕元に置かれた記録の盤が、突如として青白く脈動し始めた。
それはまるで、生きているかのような光。
「あ……」
反応するように、星眼が淡く光を帯び始める。
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪み、
音も温度もすべてが遠のいた。
──“未来”が見えた。
燃える魔界の空。
玉座の間に降り注ぐ紅い閃光。
記録の盤が割れる。星眼が封じられる。
叫び、嘆き、崩壊してゆく秩序。
「記録者を失えば、我らはただの獣となる」
「力を求めよ。玉座を取り戻せ」
「人の娘に未来は託せぬ」
幾重にも重なる声が、怒りにも哀しみにも似て響く。
そして──
影の中から伸びる手。
あやのを引きずり下ろそうとする黒い気配。
「あなたは、見すぎた」
「星眼は“覗いてはならぬ記憶”に触れた」
「その眼を、閉じなければならない」
だが、そのとき。
別の手が伸びた。
梶原──
鎧をまとい、剣を構え、
その全身で“黒い未来”を拒む姿。
彼の背に、あやのは抱きとめられる。
胸の鼓動が、耳に届いた。確かに、生きている音。
──そして、視界が還る。
「……っ!」
息を呑んで起き上がる。
喉が焼けるように乾いていた。
傍らで眠っていた梶原がすぐに気づいた。
「どうした、悪夢か?」
「ううん……違う。……“未来”を見たの。盤が、動いたの」
あやのの額には、汗。
星眼がまだわずかに明滅している。
梶原は立ち上がり、すぐに窓を閉めた。
魔界の風が、わずかに重い匂いを運んできていた。
「……どうだった?」
あやのは唇を噛んだあと、静かに言った。
「――王座が空になったことで、“もう一度”それを奪おうとする者がいる。記録の盤を壊そうとする動きも、たぶん……始まってる」
梶原は無言で頷いた。
「だったら、守るまでだ。記録も、お前も。……全部、俺が守る」
その言葉の中に、あやのは希望を見た。
確かにこの未来は、避けられぬ戦の気配を孕んでいた。
けれど、今ここに──
“信じられるもの”が在る。
それがある限り、未来はまだ書き換えられる。
──記録者は見た。
それは警告でもあり、選択の扉でもある。
星眼が記す未来は、まだ確定してはいないのだから。




