第二十七章 鬼の将、再び立つ
王の退位儀式を七日後に控えた魔界は、
水面下でざわめきを増していた。
あやののもとには連日、「記録者としての正統性」を問う文が届く。
“異種であること”や、“王の私情が過ぎる”という陰口が、
魔界の貴族や古家筋の間で噂となり始めていた。
ある日、ついに──
あやのに“呼び出し”が届く。
魔界の政庁「黒門会議」。
それは、王の名代を代々補佐してきた家筋と重臣たちによる、事実上の評議機関だった。
名目は「記録者との面談」。
だが、実質は――**査問(問いただし)**だった。
当日。
会議の場にあやのが現れると、誰もがその背後にいた男の存在に息をのんだ。
梶原國護。
長く表舞台から姿を消していた“魔界鬼族の元将軍”にして、王に次ぐ武家の家筋を持つ一族の直系。
その名は、かつて戦乱の時代に雷のように鳴り響いた。
その男が、あやのの隣に立ったのだ。
無言で、しかし揺るがぬ気配をまとって。
「これは……梶原家の……?」
「そうだ」
梶原は口を開いた。
その声は低く、よく通った。
「俺は、梶原國護。魔界西域の将家を継ぎし者。そして、真木あやのの夫にして、盾でもある」
ざわり、と空気が動いた。
「人間の娘を王の記録者に据えるなど、いかに王命であれ慎重を欠く」
そう言ったのは、老齢の顧問鬼族。
苔むした外套を纏い、目だけが鋭かった。
梶原は一歩前へ出る。
「慎重を欠くはそちらだ。星眼の力も、その器も知らぬ者が口を出すべきではない。この者は記録者として選ばれたのではない。“選ばれるだけの生を歩んだ”のだ」
会議場が一瞬静まり返る。
その沈黙を破ったのは、若い武家の末裔だった。
「だが、お前は現役を退いた身。今なお、魔界の盾を名乗る資格があるのか?」
梶原は言った。
「資格は……ある。俺は退いたのではない。
あやのを守るため、前線から姿を消しただけだ。
……この者に害を成すすべてに、俺は再び“将”として立つ」
あやのは横で見守っていた。
その背を向けて、自分の名を守る姿に、
胸の奥がじんと熱くなる。
──誰よりも静かで、誰よりも強い人。
「どうして、そこまでできるの?」
重ねて問われたとき、梶原は振り返らずに言った。
「……俺の“主”だからだ。この者は、俺の命に代えても守るべき者。それが“夫”であり、“将”の本分だ」
その一言が、魔界の空気を揺らした。
やがて、老顧問がぽつりと呟いた。
「……梶原家がそこまで申すのなら、記録者殿に一任するのが王命に背かぬ道だろう」
そして、誰もそれを否定しなかった。
その日の会議は、終始静かに、だが確かに“空気”を変えた。
梶原の存在が、記録者・あやのの立場を公に補強し、
玉座を巡る雑音のいくつかを、静かに封じ込めたのだった。
あやのは、会議の帰り道。
誰もいない通路で、そっと梶原の手を取った。
「ありがとう。……とても、嬉しかった。守ってくれて」
梶原は、それにただ一言だけ返した。
「俺の仕事だ」
けれどその声は、どこまでも優しかった。




