特別編:「おまえはまだ、“終えておらん”」
夜更け。
狂い桜の灯りが薄れ、焚き火の光だけがあたりを照らしていた。
あやのは一足先に里の寝所へ戻り、そこに残ったのは、梶原國護と──ぬらりひょん。
梶原は黙って火を見つめていたが、ぬらりひょんがふっと煙管をくゆらせ、ぽつりと口を開く。
「……“國護”」
その名を、ぬらりひょんが正式に呼ぶのは、珍しい。
「おまえが“遠野の鬼の里”を出たと聞いたとき、
あたしゃ“また一人、命を捨てたか”と思うた」
梶原は目を細め、しかし何も否定せずにいた。
ぬらりひょんは続ける。
「……だが、生きとった。
しかも、“あやの”の隣に立っておる。
これは──巡り合わせなどではない」
「……生き延びただけです。使命からは、逃げました」
「違うな」
ぬらりひょんの声が、火の中で弾けるように強くなる。
「おまえは“魔界鬼族”の血を引き、かつては“外征将軍”として名を轟かせた男。
人の里に混じることをよしとせず、戦のためにだけ生きてきた」
「だが、おまえは“あやの”を見てしまった。
あの子の中にある“沈黙の力”──
それを守ることが、戦よりも重いと感じた。違うか?」
梶原は、小さく目を伏せた。
「……あの子に、名も刀も要らなかった。
ただ、傍にいてほしいと、それだけでいいと言われた」
「だからこそ、“国護”よ」
ぬらりひょんが、かすかに笑った。
「おまえは、使命から逃げたのではない。
“戦”の意味を変えたのじゃ」
「この先、あやのの歌は世界を動かす。
都市を変え、音を動かし、“沈黙”を破る。
だがその過程で、いずれ、世界の均衡は揺れる」
「魔も、人も、神すら──
その音に引き寄せられる者もあれば、忌む者もある」
ぬらりひょんは、梶原をまっすぐに見据えた。
「おまえの使命はただ一つ。
──“その手で、あの子の未来を開け”」
「剣ではない。力でもない。
生きて、共に在り、立ち向かえ。
将であったおまえの誓いを、ここで果たすのじゃ」
梶原の拳が、ゆっくりと握られる。
その目は、過去の血を宿した鋭さを戻しながらも──今は確かに、“あやのの伴侶”としての色を帯びていた。
「……了承しました。ぬら様」
「ふん、ぬら“様”なんぞやめい」
「……爺さん」
「よろしい」
ぬらりひょんは煙管をくるりと回し、
立ち上がりながら背を向けて言った。
「國護。“未来を守る”という戦の最前線は──
昔よりも、ずっと難儀じゃぞ」
「……それでも、戦います。彼女が笑ってくれるのなら」
「──良い子を選んだ」
夜の風が、ふたりの間を吹き抜ける。
焚き火は消えずに、静かに、ふたりの誓いを照らしていた。
夜の誓いは、誰にも届かぬ静けさの中で交わされる。
でもそれは確かに、
この世界のどこかで巻き起こる“音”を守るための戦いの始まりだった。




