番外編:「吉田、出るビルに出戻る」
出るビル──通称、東京の心霊建築最前線。
そのレンガ壁の上に、今日も洗濯物がはためいている。
4階テラスには、あやのが干した真っ白なシャツ、
そしてその足元に伏せているのは、護衛忍犬・幸。
「……ふふ、お日さま、気持ちいいね」
「わん。」
と、ちょうどその頃。
1階玄関から、ドアをバタンと勢いよく閉めて入ってきたのは──
「ただいま。……でいいのかな、こういうの」
銀縁メガネの男、吉田透であった。
◆ 幽霊たちの歓迎
踊り場の田中さん(地縛霊・元サラリーマン)が、
じっとり汗をかきながら言う。
「お、おかえりなさい……また労働ですか……」
「働きたくないな……でもなぜかここに来てしまった……不本意だ……」
吉田、無表情のまま田中さんに敬礼。
「諸行無常ですね。では上に行きます」
トイレの太郎くん(癒し系少年幽霊)が手を振る。
「吉田のお兄ちゃん、また来てくれてうれしいよぉ!」
「太郎くん、その成仏する気のなさ、逆に尊敬するよ……」
◆ 司郎デザイン、設計室
司郎が眼鏡を上げながら図面を描いている。
「まーたアンタ、気配もなく戻ってきたわね」
「他に来る場所がないんで」
「いけしゃあしゃあと言うじゃないのよ。こちとらアンタの机、今ヘイリーの裁縫スペースになってるわよ」
「問題ない。床で描くの、嫌いじゃない」
司郎、頭を抱える。
「ほっっんと、相変わらず生意気な美青年ね……その冷めた目がムカつくのよ……」
梶原が、黙って吉田の背にでかい製図板をドンッと渡す。
「……現場、再始動する。文句あるなら手伝え」
「わかった。なんだかんだ言って歓迎されてる気がするのが腹立つけど」
◆ キッチン・ダイニング
ヘイリーがキッチンでサルサ風味の煮込みを作っている。
「吉田ァ〜〜!アンタ、また黙って来て〜〜!あたしにちゃんと挨拶した〜〜!?」
「(小声)うるさい……」
「何よ〜〜!っていうか、なんでいつも来る時タイミング悪いのよ!?この間のニューヨークはなんだったのよ!?あたし、あんたにメールしたの読んだ!?」
「未読のまま三ヶ月放置してました。すみません」
「性格悪ぅぅ〜〜!!でも憎めないぃぃ〜〜!」
ヘイリー、煮込みをぶち込んだ皿を渡す。
「これでも食べてから図面描きなさい!一緒に住むなら食生活からよ!」
「いや、住むとは言ってな──」
「お布団も干してあるからッッ!」
◆ テラスにて
あやのは幸の頭を撫でながら、
地上の騒がしさにちょっと笑っていた。
そこに吉田がコーヒー片手にやってくる。
「……騒がしいね。君がいない間に、さらにパワーアップしたな」
「うん。ちょっとだけ、懐かしい感じがする」
「たぶん、このビルが“音を記憶してる”んだよ。君のハミングも、司郎さんの文句も、全部」
あやのは、ふっと微笑んだ。
「そっか。じゃあ、わたしがまた旅に出ても……この建物が、わたしの音を持っててくれるんだね」
吉田は、しばらく黙って、
そして苦笑して言った。
「そのときは、また掃除係として雇ってもらおうかな。幽霊の相手も含めて」
幸が「ワン」と一声。
吉田、即答。
「いや、犬にまでツッコまれるのは心外だよ……」
◆ オチ(その夜)
深夜2時。
吉田の部屋(というか物置)に、山形さん(首吊りおじさん幽霊)が現れる。
「うぉ〜〜い。寝てるか〜〜〜い。おかえりぃぃ〜〜!」
「……頼むから黙ってくれ。明日も早いんだ」
「ドッキリ幽霊トラップ、再開しまーす!君のベッド、今夜は“浮く”からね!」
「司郎さーん!あのエレベーター霊、やっぱり成仏させませんか!?」
「うるさいわよ、吉田!あんたの叫び声が一番うるさいのよぉ!」
そして、出るビルの日常は続く。
沈黙の音も、笑い声も、建築図面も、霊のうめき声も──
すべてが溶けあいながら、今日もまたこの場所に、**“生きる音”**が響いていた。




