番外編:「ぬら爺からの便り 三度」
あやのが風に包まれながら小さな宿に泊まった夜のこと。
机の上に置かれた封筒。
墨の香りが、まだ仄かに漂っていた。
封筒の表には、柔らかい筆致でこう書かれていた。
「わしのかわいい孫へ
三たび、風にまかせて」
あやのは、そっと封を切る。
中には、渋い色の和紙に、丸い筆跡の手紙が一枚。
あやのや
音の風に乗って、おまえの息づかいが里にまで届いておる。
あの子が、ようもまあこんなに遠くまで──と、
わしら妖一同、ひれ伏す思いでおるよ。
この世に音の建物を築くとは、まるで風の中に骨を立てるようなものじゃ。
それでもおまえは、その風の中で、声もなくよう響かせたなあ。
鬼の梶が、ちゃんと隣におるのも、わしは知っておる。
よう守った。よう育てた。
でもの、忘れるな。おまえは「守られる側」でもあるが、
「育てる側」にも、そろそろ立つ年頃じゃぞ。
女というものは、咲くばかりではいかん。
実を結ぶ気がなくとも、風に花粉を任せるだけではいかん。
花開いたなら、自分の枝ぶりと根の張り方を見つめなおすことじゃ。
わしが何を言うとるか、すぐにはわからんでもええ。
けれど「いのちの音」というものは、
他人に聴かせる前に、まず自分で確かめるもんじゃよ。
出るビルの幽霊どもにもよろしく伝えてくれ。
太郎にも、山形にも、田中にも。
生きとるもんも、死んどるもんも、
よう音に浮かれておるようじゃ。
それが音楽じゃ。それが建築じゃ。
あやのや──
その道、まだ遠い。
けれど、ちゃんと歩いとる。
それだけは、ようわかっておる。
わしの音はもうすっかり低くなったが、
それでも、おまえの声はよう聴こえる。
また便りする。
寒さが来る頃には、茶でも淹れて待っとるでな。
ぬらりひょんより
手紙を読み終えたあやのは、ふうっと小さく笑った。
静かに掌を胸にあてる。
(──うん、ちゃんと響いてる。わたしの音)
梶原が寝息を立てる横で、幸が小さく鼻を鳴らす。
風が、障子の隙間から音もなく吹き込んだ。
その夜、あやののハミングは、風にまぎれ、どこまでも遠く──
山の奥、妖の里へと届いていた。




