第百三十二章 共鳴都市の胎音
夜が明ける。
霧に包まれていた都市の空が、
淡い金色に滲み始めていた。
だが、それは光の変化だけではない。
都市の深部を流れる空気が──**“音”そのものが変わっていた。**
響室。
真木あやのは、白い衣のまま、そっと床に横たわっていた。
腹部を両腕で抱くようにして眠る姿は、まるで自らの音を抱く母胎のようだった。
胸元から腰へ、滑らかな曲線が生まれ、
その身体はもう、誰の目にも「少女」ではなく──
「命を宿す存在」として映っていた。
ゆっくりと開いたまぶたの奥、
淡い藍の瞳が光を捉える。
その視線が天井に届いた瞬間、
響室の音響膜が反応した。
────“共鳴”。
無音のまま、空間が震える。
その震えは、設計された振動ではなく、
都市の最奥にある“感覚の芯”に触れる音だった。
司郎は、事務所のモニターに映し出された波形を見つめながら、
ゆっくりとメガネを外し、呟いた。
「……やっぱりそうだったのね。
都市の“胎音”が、ついに……あの子の心音に同調した」
隣で記録を取っていたヘイリーが、息をのむ。
「都市全体が“あやのの身体”になろうとしてる……これは、建築じゃない。音響的転生よ」
「都市が、彼女の延長として“産声”を上げたのよ」
その頃。
梶原國護は、まだ眠るあやのの隣に座り、
彼女の呼吸に合わせてそっと背を撫でていた。
(この身体……どこまで変わってしまうんだ)
柔らかくなった肌。
ふくよかに整い始めた胸元。
女性として成熟していくのに、どこか神聖さを感じさせる静けさ。
梶原は、嫉妬にも似た焦りを胸に抱えていた。
──“音”に、あやのを奪われる。
彼女は、自分の意志で音に身体を明け渡し、
都市と、世界と、誰よりも深く繋がっていく。
守ってきたはずの彼女は、
すでに自分の手を超えて、遠くへ──
だがそのとき、
眠るあやのの手がそっと彼の指を掴んだ。
「……梶くん……」
微かな声。
だけどその響きは、都市の膜を揺らすほど強かった。
梶原は、唇を噛みしめる。
(いいさ──行け。どこまででも。
その代わり、おまえが声を出すたびに、
俺が必ず、その“響き”を受け止める)
そして──
その日の午後、
《アウラ》の中心にそびえる胎響構造体の尖塔が、
音なき産声を発した。
それは音として聴こえず、
空気が澄み、風が歌い、
水が震え、
街が静かに泣いた。
都市が、生き始めた。
その心臓の鼓動は、あやののハミングとともに、
世界の深部へと染み渡っていく。




