第百三十章 音の陣痛
静寂に包まれた都市の夜。
響室は、深い呼吸を繰り返していた。
あやのは、薄明かりの中で目を閉じていた。
その腹部の鼓動は、まるで胎児のように規則正しく、しかし時折波打つように強まる。
幸はいつものように彼女のそばに伏せている。
だがその目は、いつもより鋭く光り、何かを見守るように見えた。
あやのの身体は、少しずつ女らしい丸みを帯びてきた。
胸元は柔らかく膨らみ、腰のラインは繊細に曲線を描く。
だが、彼女が本当に感じていたのは、
外見の変化よりも、内側から湧き上がる“音の胎動”だった。
「……これは、音の陣痛だわ」
小さくそうつぶやくと、彼女は深く息を吸い込んだ。
その時、響室の壁面に取り付けられた音響センサーが反応した。
波形は激しく揺れ、共振周波数はこれまでにない高まりを見せていた。
司郎は設計図を前に眉をひそめる。
「ついに……あやのの音が、構造体と“分娩”を始めたわね」
ヘイリーはあやのの手を取り、優しく握り締めた。
「怖がらないで。あんたは音を“産む”のよ。
それは苦しいけど、必ず新しい生命を生む瞬間だから」
梶原は静かに響室の入口に立ち、あやのの様子を見守っていた。
彼の心臓もまた、彼女の胎動に呼応し、不規則に高鳴っていた。
「……俺も一緒に居るから」
そう小声でつぶやくと、彼はそっとあやのの肩に手を置いた。
あやのは目を開け、彼と視線を交わす。
「梶くん……ありがとう」
その声はもう、
ただの声ではなく、都市の息吹と一体化した“音の命”だった。
その瞬間。
響室の中央で、
小さな震動が走り、
空気がひとつの“音の塊”となってふくらんだ。
それは、まるで──
新しい生命の産声のように、静かに、しかし確かに響き渡った。
夜空の向こうで、
都市は、
新たな“音の命”を宿したことを静かに告げていた。




