第二十二章 研修生パニック!地縛霊たちの大歓迎
七月のある蒸し暑い午後。
「出るビル」のエントランスに、真新しいスニーカーの音がぱたぱたと響いた。
「わぁ……本当にレンガ造りだ」「えっ、なんか冷気……?」「今、カーテン動いたよな……?」
三井教授の推薦でやってきた建築学部の研修生たち、総勢七名。
全員が20歳前後。新築とCADに慣れた、現代っ子たちである。
ビルの中に足を踏み入れたとたん、誰もがなぜか背筋を伸ばした。
――なにかが、いる。
それでも、真木あやのの柔らかな笑顔が、空気を少しだけ和らげた。
真珠色の髪をまとめ、生成りのブラウスを着たあやのは、どこか浮世離れして見えるのに、不思議と安心感を与えた。
「ようこそ、出るビルへ。あ、こっちは“通称”で、正式には『司郎デザイン』っていう建築事務所です」
笑いながら案内を始めたその直後だった。
階段の踊り場に差しかかったとき。
急に空気が重くなった。
「うぅぅぅ……書類、しごと……ムリ……シメキリ……」
スーツ姿の男が、踊り場の天井からぶらさがっていた。
ネクタイがゆらゆら揺れ、口元からは虚ろな呻き。
「ぎゃあああああああああっ!!」
悲鳴。転倒。片足のスニーカーが脱げる。
「田中さーん、ダメだよ。今日新人さん来てるから、サービス精神出さないで~!」
あやのの軽い声を背に、スーツの男――踊り場の田中さんは、黙ってフェードアウトした。
次の瞬間。
――エレベーターの扉がガタンガタンと揺れ出した。
「えっ、止まってたんじゃ……?」
バンッと開いた中にいたのは、中年のおじさんの霊。
チェックのシャツに古びたスラックス、首に縄の痕。
しかしその表情はどこか妙にハイテンションだった。
「よぉ! びっくりしたか? おじさんだよォ!」
口元をぐわっと開け、にやにや笑う。
腕を広げ、まるで昔のテレビ番組の司会者のように派手に登場。
「これぞホンモノの“出る”だぜェ~~!」
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
一人の男子学生は目を剥き、もう一人は腰を抜かして壁に張りついた。
数秒後、三人が同時に階段を転げ落ちかけ、慌てて手すりにつかまった。
「山形さーん! オチが長いってば! せめてもうちょっと控えめにお願いー!」
あやのが駆け寄ると、霊――エレベーターの山形さんは、舌打ちしながら天井へ消えていった。
「ひゅ〜、最近の若い子は反応が派手でええな……」
ぽそっと呟いた声だけが、後に残った。
* * *
7人のうち、5人が霊体験に半狂乱になったころ。
ただ一人、背の低い女子学生が、トイレから出てきた。
「……え? 子どもがいた?」
彼女の視線の先には、誰もいない鏡。
だが確かにそこに、小さな男の子の霊が手を振っていた。
「お姉ちゃん、いい子そうだね」
「……うん。あなたも、いい子だね」
鏡に向かって微笑むと、霊はぱっと顔を赤らめて、壁の中へすっと溶けていった。
* * *
その日の夕方。
あやのが報告すると、司郎正臣はあごに手を当てて笑った。
「ふふっ、やっぱりウチって、イイ感じに“にぎやか”ね。
怖がらせるつもりじゃないんだけど……霊たちもサービス精神が旺盛なのよ」
「山形さんが『オチ長め』なの、司郎さんが昔テレビ出てたから影響受けたんじゃないですか?」
「やめなさい」
二人のやり取りの向こうで、梶原國護が黙々と研修生たちの安全確認をしていた。
そしてその夜。
「エレベーターの山形さん」は、自分の出番を思い出していたように、ひとりごちた。
「……また来てくれるかな、今度はちょっと抑えめで……」
誰もいない廊下に、おじさん霊の声が、ふわりと残った。