第百九章 この灯りの下で
東京、深夜。
出るビルの最上階──4階の屋根裏部屋に、柔らかな明かりが灯っていた。
梶原が布団を敷き終え、持ち帰ったパリの小さなランタンをテーブルに置く。
その明かりは、まるでキャンドルのように揺れて、
静かな部屋の中でふたりの影を優しく重ねていた。
あやのは窓辺に座って、開け放たれた窓から夜風を感じている。
「……東京の風、やっぱり懐かしい」
「……重さが違うね。湿気と、においと、あと……音の粒が近い」
「うん。パリはもっと乾いてて……遠くまで、音が滑ってくの」
梶原は座布団に腰をおろし、あやのに問いかける。
「……しんどくなかったか? あっちで、騒がれて、見られて、求められて」
あやのはふと視線を下ろし、指先でスカートの裾をなぞった。
「……しんどくないって言ったら、ウソになるかも」
「でもね」
そっと梶原のほうを見た。
「司郎さんがいたし、ヘイリーもいたし……そして、梶くんがいてくれたから、私はちゃんと、あやのでいられた」
「……」
梶原はその言葉を、噛みしめるように受け止めた。
「俺は、なんにもできなかったよ。結局、音も出せないし、設計も描けない。
ただ、黙って見てるだけだった」
「ううん」
あやのは静かに首を振った。
「梶くんがいたから、私は怖くなかった。パリでも、ラップランドでも……あんなに人がいたのに、
いちばん近くにいて、でもいちばん、静かだったのは……」
彼女の声が、少しだけ震えた。
「……あなただった」
ランタンの灯りが、ふたりの間でまた小さく揺れた。
梶原は、ゆっくりと身を乗り出して、
あやのの頬にかかる髪を、そっと耳にかける。
「じゃあ……もう、少しだけ、そばにいてもいい?」
あやのは、目を閉じてうなずいた。
「……うん」
そして、静かに。
ふたりの唇が触れた。
ほんの一瞬、夜が止まったようだった。
東京の夜風が、静かにカーテンを揺らし──
あやのの瞳に、微かに**“女性としての色”**が宿りはじめる。
彼女の頬は、今までにないほど赤く染まり、
声にならない息だけが、胸の奥から漏れていた。
梶原は言葉を探し、でも、結局こう言った。
「……あやの」
「なに?」
「世界中どこにいても、俺は、お前を守る」
その言葉に、あやのは照れくさそうに目をそらした。
でも、胸の中の熱は、もうごまかせなかった。




